第204話 縁 その4

文字数 2,518文字

 猪座(いのざ)はこれからの事を考えた。

 国主(こくしゅ)に今回の件を早急に報告せねばならない。
だが、報告すると言っても待ち伏せされたという事にすぎぬ。
家老の悪事の証拠を見つけたという報告ではない。

 夜に訪ねて国主に報告する内容ではないのだ。
するとしたらば明朝だ。

 今日する事ではない。
家に帰る以外、する事が思い浮かばなかった。
何とも情けない。

 今日死んだ部下達は犬死にだ。
せめて家老の悪事の証拠を(つか)ませてやりたかった。
猪座は死んだ部下達に()びた。

 国主の直下で仕事している自分らには二つの顔がある。
一つは先祖代々お(いえ)に課された城勤めの仕事をする顔だ。
例えば勘定方や与力などの仕事である。
そして裏の顔が国主の直々(じきじき)の命で動く、決して他の者に知られてはいけない仕事である。

 この裏の仕事には役職名も何もない。
この仕事への任命は、突然、国主に内密に呼ばれ行われる。
その時に立ち会うのは、国主とその側近の中でも信頼されている一人か二人程である。
この仕事に任命される事は名誉であるが、給金はスズメの涙程度上がるだけである。
そして死と隣り合わせの危険な仕事ばかりなのだ。

 裏の仕事で死んだ場合は、武士としての誇り高い死とはならない。
大概が事故死として処理される。
(いえ)にとって名誉の死ではない。
家族の一部、妻や継嗣(けいし)だけは、どのような仕事に就いていたかは知らせる事ができた。
だから家族は口には出さないが名誉の死だと誇りに思っているのだ。

 しかし親戚一同は、裏の仕事をしていたなどとは知るよしも無い。
そのため心ない親族は、武士らしく死ななかったと葬儀の席で罵倒する事もあった。
言うに言えない(くや)しさである。

 しかし死んだ者は国主直々(じきじき)(めい)(いのち)を落としたのだ。
名誉の死と考えているに違いないのだ。

 そのような思いを抱きながら、猪座は家に戻った。
忍び装束から普段着に着替える。

 猪座は着替えながら考えた。
今日の様子から、自分たちの動きが家老に筒抜けだったように思える。
だが自分たちの組織や、どういう動きをしているか知っているのは国主と一部の者だけである。
あの家老が知り得るわけがないのだ。
しかし・・
今回は漏れていると考えた方が辻褄(つじつま)があう。

 いやな予感がした。

 もし、自分の素性が家老にばれてたら?
そして自分の部下達の素性も・・・。
もしそうならば自分らは暗殺される可能性がある。
おそらく何らかの事故に見せかけて消されるであろう。
それは家族にも及ぶ・・。

 だが、自分らの素性が家老にばれる事があるだろうか?

 いや、あり得ない・・。
猪座はその考えを否定した。

 とはいえ用心にこしたことはない。
部下たちには明日、自分と家族の安全を確保するよう命を下そう・・。
そう決心した。

 そして自分の家族、と言っても妻だけなのだが・・
明日、妻への安全確保の対応は無理であろうと思った。
国主への報告と今回の対処で明日は手一杯だ。
ならば、今日中に妻の安全を確保しよう、そう思った。

 妻の安全・・、それは実家に返すことだ。

 自分の家に居れば、盗賊や強盗に見せかけ殺すことはできる。
あるいは二人一緒か別々に外に出かけた時も同様であろう。
だが、いくら家老でも実家にいる妻に手は出せない。
あの家を敵に回すと家老にとっては悪手以外の何物でもないからだ。

 そう決めたならば、後は簡単だった。
夜分ではあるが緊急だ、今、妻を連れて訪れても文句は言うまい。
猪座は妻を呼んだ。

 妻にはこの件が落ち着くまでは実家にいるように申しつけた。
そして猪座は妻を実家に送るため、妻を連れて家を出る。

 だが、これが裏目に出た。
道すがら突然、黒装束(くろしょうぞく)の者達が暗闇から現れたのだ。
相手は5人・・・。
道に他の人影はみられない。

 猪座は、しまった! と思った。

 付けられていたか、家を見張られていたのだ。
そして、人目に付かない場所にくるのを待っていたに違いない。

 猪座は背中に妻を隠すようにして、黒装束の者達を怒鳴りつけた。

 「何奴(なにやつ)!」

 「名乗る必要などないであろう。
お前は此処(ここ)で死ぬのだから。」

 そういって黒装束は刀の鯉口(こいくち)を切った。

 猪座も刀を抜き構える。
そして気合いとともに、黒装束に切りかかった。
剣と剣が交わる。
一合、二合・・・

 カキン! キン! カン!

 金属音が暗闇に木霊(こだま)する。
だが多勢に無勢であった。

 やがて猪座は鍔迫り合い(つばぜりあい)に持ち込まれ、別の者に右腕を切られた。

 「ウグッ!」
 ガチャン・・。

 呻き声とともに、刀を落とした。
妻の短い悲鳴が後ろから聞こえた。

 猪座はすぐさま落とした刀を拾おうとしたが、流れ出る血で手が滑ってつかめない。
いや、そうではない・・切られた右手では刀を握れなかった。

 刀を拾うのを(あきら)め、後退り(あとずさり)し妻の側ににじり寄る。

 黒装束の者達はというと、刀を(かま)えたまま動かない。
猪座は何故襲って来ないのだと首をかしげた。
よくみると覆面から除く目が笑っていた。

 猪座はその目を知っている。
暗殺者の中にたまに居る者の目だ。
相手を痛ぶって殺す時に、共通してする目つきである。

 これまでか・・

 猪座はそう思った。
だが、妻だけでも逃がさなくてはならない。

 猪座は後ろを振り返った。
そして妻を見て、目を見開く。

 妻は夫が切られた時に悲鳴は上げたものの、今はしっかりと護身用の短刀を抜き構えていた。
そして・・

 夫の前に飛び出した。
夫を(かば)い戦う気のようだ。

 猪座はそんな妻の(そで)(つか)んで自分の後ろに下げた。

 「逃げろ!」

 そう妻に叫んだ。

「いやです!」

 猪座の声に妻は即座に叫んだ。
逃げようとしないのだ。

 黒装束の男達から、野卑な笑い声が聞こえた。

 「仲睦(なかむつ)まじいことだ。はははははははは。」

 「お(かしら)、どうします?」

 「聞くまでもあるまい、一緒に仲良く眠ってもらえばよいだけだ。
だが、切られて楽に死んでもらっては困る。
夜盗に襲われたように見せかけねばならぬゆえな。
滅多切り(めったぎり)にさせてもらおう。」

 お頭と呼ばれた男は、低い声でそう言い放った。
低く残忍な声である。

 だが、その声に場違いなノホホンとした声が応答した。

 「はぁ~、そりゃ(ひど)いなぁ、
夜盗でも真っ青だ。
人の顔を被った悪鬼のような言いぐさだ。」

 突然後ろからかかった声に、黒装束の男達は一斉に反応した。
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