29、ポエニ戦争(12)

文字数 1,216文字

カルタゴ軍は執政官プブリウス・コルネリウス・スキピオ率いるローマ軍をティキヌスの戦いで破った。スキピオはプラケンティアまで軍を後退させ、もう1人の執政官ティベリウス・センプロニウス・ロングスの率いる軍団の合流を待った。その間にハンニバルはガリア・キサルピナの現地部族を懐柔し自軍の増強に努めた。
ポエニ戦争はまだまだ続くのですね。
ポエニ戦争は長く続いただけでなく、記録も多く残されている。
作品集には下の画像から入ってください。
トレビアの戦いは紀元前218年12月18日、トレビア川を挟んで行われた。指揮官はカルタゴはハンニバル、ローマはスキピオが負傷していたため、ティベリウス・センプロニウス・ロングスが指揮官となった。
この時代のローマで執政官はどのように選ばれ、どのような役割を持っていたのですか?
執政官は元老院が候補者を選び、ケントゥリア民会での選挙により選任された。定員は2名で、独裁を防ぐためであり、それ以前の王政が復活するのを防ぐ意味もあった。任期は1年で、元来は再選は許されなかったが、次第に再選も許されるようになった。執政官は平時は内政の最高責任者であり、戦時は軍団の最高指揮官として直接指揮を執った。
つまり内政を行い、戦争の時は指揮官の役割も求められたのですね。
私は血筋から王になりましたが、執政官にはなれそうもありません。
余も同じだ。軍隊の指揮を執るなど考えただけでも怖ろしい。
執政官の任期が1年というのは随分厳しいように思えるが、その時代のローマには執政官になりたがる人間がたくさんいたということか。
古代ローマは王政期、共和政期、帝政期とあり、ポエニ戦争があったのは共和制中期になる。共和政期は紀元前509年から紀元前27年まで続いた。
古代ローマの共和政期は500年近く続いたのですね。
トレビア川の戦いでの戦力はカルタゴが歩兵30,000、騎兵10,000、戦象3にたいしてローマは歩兵36,000、騎兵4,000だった。
ローマ軍は歩兵の数は多いが騎兵が少ない。それに戦力として戦象が書かれているのも気になる。象は本当に役に立ったのだろうか?
カルタゴ軍は最前列に戦象を置き、その後方に歩兵戦列を展開した。歩兵戦列は、中央がガリア歩兵、両翼には古参のリビア、ヒスパニア歩兵がついた。歩兵戦列の両翼には騎兵を二分して配置した。また、ハンニバルは戦闘の前夜、弟のマゴに2,000(騎兵1,000、軽装歩兵1,000)の文遺隊を与え、川沿いの林の中(あるいは丘陵の上)に埋伏させた。
象が先頭で歩いて来るなんて怖過ぎます。私はそんな軍隊とは戦いたくありません。
ローマ軍は最前面に軽装歩兵を展開させ、その後方に3列の歩兵戦列を展開、両翼に騎兵を配置する通常の戦闘隊形をとった。だが、ローマ軍はカルタゴ軍の誘引策によって、態勢の整わないうちに野営地から出撃することを余儀なくされた。そして12月18日、トレビアの戦いが始まった。
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