29、ポエニ戦争(12)
文字数 1,216文字
カルタゴ軍は執政官プブリウス・コルネリウス・スキピオ率いるローマ軍をティキヌスの戦いで破った。スキピオはプラケンティアまで軍を後退させ、もう1人の執政官ティベリウス・センプロニウス・ロングスの率いる軍団の合流を待った。その間にハンニバルはガリア・キサルピナの現地部族を懐柔し自軍の増強に努めた。
執政官は元老院が候補者を選び、ケントゥリア民会での選挙により選任された。定員は2名で、独裁を防ぐためであり、それ以前の王政が復活するのを防ぐ意味もあった。任期は1年で、元来は再選は許されなかったが、次第に再選も許されるようになった。執政官は平時は内政の最高責任者であり、戦時は軍団の最高指揮官として直接指揮を執った。
カルタゴ軍は最前列に戦象を置き、その後方に歩兵戦列を展開した。歩兵戦列は、中央がガリア歩兵、両翼には古参のリビア、ヒスパニア歩兵がついた。歩兵戦列の両翼には騎兵を二分して配置した。また、ハンニバルは戦闘の前夜、弟のマゴに2,000(騎兵1,000、軽装歩兵1,000)の文遺隊を与え、川沿いの林の中(あるいは丘陵の上)に埋伏させた。