8、ポエニ戦争(2)

文字数 1,385文字

ポエニ戦争について続きを説明しよう。
作品集は下の写真から入ってください。
紀元前262年、ローマはカルタゴが守るアグリゲントゥム(現アグリジェント)を攻略した。アグリジェントはこの地図には書かれてないが、シチリア南部の都市である。
ポエニ戦争の始まりは紀元前264年だから2年後ですね。
続いてローマはカルタゴの補給を断つため大艦隊を建造した。当初は劣勢であったもののカラス装置(コルウス)を用いた接舷戦闘を編み出していくつかの海戦に勝利した。
海の上の戦いはどういうものになるのか見当もつかない。
余もレコンキスタで数々の戦いを経験しているが、海戦というものはどのようにやるのかよくわからない。
サラミス海戦で使われた古代ギリシャの船はこのような形をしていた。
船の先に硬くて尖ったものを付けて敵の船を壊すのですね。
このような戦い方では個人の強さよりみんなで足並みをそろえて船をこぐことが重要になってくる。余にとっては面白くない。
海戦では最初カルタゴが有利であったが、ローマはカラス装置(コルウス)を編み出した。
このような装置を使って敵の船に乗り込み直接戦うことができるようになった。
敵の船に乗り込んで直接戦えるならその方がよっぽど気分がいい。船に乗って敵の船を壊すなどというやり方はイライラする。
ローマ軍もおそらくペドロ2世と似た者が多かったのだろう。結果ローマはいくつかの海戦に勝利し、勢いを得たローマはアフリカへ上陸する。
紀元前255年にスパルタ人の傭兵隊長クサンティッポ率いるカルタゴ軍にチュニスの戦いで大敗し、撤退の最中に海難事故にあい6万の兵を失った。
スパルタは厳しい軍事国家として有名です。スパルタ軍とペルシャ軍の戦いの映画『300』を見たことがあります。テルモピュライの戦いは紀元前480年です。
その後スパルタはギリシャでの覇権を失い、アレキサンダーの遠征以降のヘレニズム期には独立国としての地位も失っています。でもスパルタ人の強さは残っていたのですね。
カルタゴはスパルタ人の傭兵であるクサンティッポスを軍司令官にした。クサンティッポスは冬の間に兵を訓練し、優秀なカルタゴ軍騎兵と戦象の威力を活かすため、平地での野戦を企画した。
戦象ということは戦争で実際に象を使ったのですか?
象という生き物についてすらよくわからないのに、それを戦争に使うとはなんて怖ろしい世界だ。
余にとっては海戦や象を使っての戦いというのは非常に興味がある。
戦力はローマ軍が歩兵15000、騎兵500に対してカルタゴ軍は歩兵12000、騎兵4000、戦象100だった。
騎兵の数が全然違いますね。
騎兵の数がこれだけ違い、しかもよく訓練されていたとしたら、カルタゴ軍の方が有利である。
損害はローマ軍が戦死12000と捕虜500に対してカルタゴは戦死800だった。
カルタゴの圧勝ですね。
ローマの執政官で指揮官だったマルクス・アティリウス・レグルスも捕虜になった。レグルスはゾウによる踏みつけで処刑された、釘を打ち込まれた桶に入れられたなど様々な説がある。
怖いですね。僕たちの生きている16世紀も残酷だけど、紀元前もいろいろな残酷な処刑や拷問があったのですね。
レグルスについては違った方法で殺されたという言い伝えもあり、画家のターナーが絵に描いています。そのことについては別のチャットノベルで話題にします。
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