236、ポエニ戦争(91)

文字数 945文字

第二次カプア包囲戦についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
カプアでは元老院議員70人と貴族300人以上が処刑された。他のカプア人はラテン系のローマ同盟都市に送られ幽閉されたが、様々な理由で死亡した。最終的には、相当数の人々が奴隷身分に落とされて売却された。カプア自体は破壊されず、農業都市として再建され、農民、解放奴隷、商人、職人などが新たな住民となった。その領土と公共建造物はローマ人のものとなった。市には独自の公的機関、元老院、裁判所等は設置されず、ローマから毎年知事が送られた。
カプアの市民は殺されるか奴隷に売られるかして新たな住民が住むようになり、完全にローマに支配されるようになったのか。
ローマ人がこのように残酷になった背景には、ローマではほとんどの者が軍隊で戦士として鍛えられその後出世していることがあると思います。人を殺すことを教えられて訓練を受け、ローマのために何ができるかが最優先されるため、死を恐れたり人を殺すことにためらいがなくなるのでしょう。そしてローマはますます発展していきました。
カプアが陥落すると、ローマとの同盟を解消して敵対していた他の都市は、ローマとの関係の再構築を模索し始めた。最初の例はアテラとカラティアであったが、その指導者は処刑された。市民の多くは街を離れ二度と戻らなかった。ローマはしかしながら、街に火を放ったり、建物や城壁の崩壊は行わず、街の略奪もしなかった。街には罪は無いとして恩赦を与え、その資産は残した。ローマに反逆したものはその代償を払う必要はあるが、ハンニバルからの支援は期待できないということを明らかにした。
カプアの陥落後、ローマの支配は強くなっていくのですね。
ハンニバルの立場は難しくなった。数において勝る敵から、多くの都市を守ることは出来ない。ハンニバル軍は1か所に存在するだけだが、ローマ軍は必要な場所にどこにでも軍を派遣できた。多くの同盟都市をその運命に委ねさせるを得ず、また反乱によるカルタゴ兵への殺害を防ぐために、守備兵も引き揚げるしか無かった。この不誠実さと残酷さを非難するものも多かった。
カプアの陥没後、ハンニバルは難しい立場に立たされたようです。次回からまたポエニ戦争を離れ、文字の学習になります。
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