165、ポエニ戦争(72)

文字数 1,316文字

第一次カプア包囲戦についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
紀元前213年の執政官はファビウスの同名の息子とセンプロニウス・グラックスであった。ファビウスには父がレガトゥスとして同行していた。
レガトゥスとはなんぞや?
「レーガートゥス」はラテン語で「派遣する、任命する」を意味する動詞「レーゴー」の派生語であり、「使節、使者」の意味、あるいは「軍団長」「総督代理」などの意味もあったようです。
執政官になるような年齢になっても、まだ父が生きていて付き添ってくれるというのがうらやましい。余の父は偉大な皇帝と言われていたが、余が17歳の時に亡くなった。もっと長生きしてくれれば、ボヘミアと余の運命は違ったものになったであろう。
2人の執政官がそれぞれの担当地域に到着した時、112人のカンパニアの騎士が、ローマ野営地を略奪するとの口実でローマを出て、スエッスラのローマ野営地に来て交渉を求めた。法務官グナエウス・フリウス・セントマウルス・マクシムスとの協議の結果、武装を解除した10人が交渉に参加することが認められた。グナエウスは彼らの意思を確認し、カプアを奪取した際には彼らの資産を返却すると約束した。ファビウスはアルピを攻撃し勝利している。
ローマ側も交渉に応じたりもしているのですね。
ハンニバルがタレントゥムの攻略を目指している時、紀元前212年の2人の執政官、アッピウス・クラウディウス・プルケルとクィントゥス・フルティウス・フラックスはカプア攻略の意図を持ってサムニウムに軍を進めていた。他方、近郊の土地の種まきをローマ軍が妨害していたため、カプアの食料は不足し始めていた。
種まきを邪魔するなんていうことが役に立つのか?
このため、カプアはハンニバルに使者を派遣し、ローマ軍が到着して周辺の道路を占拠する前に、カプアに食料を運び込んでくれるよう依頼した。ハンニバルはブルティウムのハンノに対し、カプアに十分な食料を運ぶように命令した。ハンノはローマ軍を避けるため、ローマ側の都市であるベネヴェントゥムから4,5キロメートルに野営地を設置し、周囲の穀物を収穫し野営地に運び込ませた。その後カプアに食料を取りに来るように伝えたが、カプア側は十分な準備が出来ておらず、ハンノはこれを叱責した。
食料を確保することが重要になってくるわけですね。
ベネヴェントゥムの出来事が届くと両執政官はボヴィアヌム(現在のボヤーノ)に移動し野営した。フラックスは次の夜にはベネヴェントゥムの城内に入った。そこでハンノの兵士が馬車2,000台でカプアへ食料を運んでいったことを知った。
馬車2,000台の食料はかなりの量です。
カルタゴ軍野営地はいくらかの農民や奴隷が残っているだけで武装した兵士はほとんどおらず、混乱状態にあった。カルタゴ軍野営地は良く防御されており、ローマ軍は苦戦したが、最後にはローマ軍が勝利した(第二次ベネベントゥムの戦い)ローマ軍はカルタゴ軍野営地を破壊した後ベネヴェントゥムに戻り、略奪してきた物質は兵の間で分配された。敗北を知ったハンノはブルティウムに戻ったが、途中での逃亡兵も多かった。
小競り合いばかり続いて面白くない。
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