82、ポエニ戦争(42)

文字数 1,338文字

デルトサの戦いの時の状況について続きを説明しよう。
作品集には下の画像から入ってください。
サルディニアに駐屯していたローマ軍団は疾病に苦しんでいた。法務官(プラエトル)クィントス・ムキウス・スカエウォラは現地兵士のために資金と食料を調達していたが、このことがサルディニア人に反感を抱かせた。サルディニア人の部族長であるハンプシコラは反乱を扇動し、カルタゴに救援を求めた。
サルディニアはどこにある?
地図で見るとローマの西、地中海に浮かぶ2つの大きな島で南にあるのがサルディニア島、北がコルシカ島です。
アラゴンは山のふもとの小さな国と思っていたが、フアン1世は海についても詳しいではないか。
アラゴンは私の時代にはカタルーニャ、バレンシアとの連合王国で広く栄えていたのです。そして私の宮廷はフランスの文化を取り入れて豪華で華やかだったのです。アラゴンが山奥の小さな国だったのは昔のことです。
その栄えていたアラゴンの財政を傾かせたのは誰だったかな。
話を元に戻そう。カルタゴは歩兵15,000、騎兵1,200、戦象20からなる群を組織し、イタリアから戻ったマゴを司令官とした。マゴは60隻の五段櫂船に護衛されて再びイタリアに向った。サルディニアからの救援要請が届くと、同規模の軍が組織され、「禿のハスドルバル」を指揮官としてサルディニアに遠征軍が送ることとされた。
それだけの軍をすぐに組織できるなんて、カルタゴはまだまだ余裕がありますね。
紀元前217年春のエブロ川河口の海戦での敗戦以来、ハスドルバルは守勢を取っていた。ローマ軍の侵攻に備えて、エブロ川の防衛に副将のボアステルが任じられていたが、ローマ軍が渡河すると撤退した。さらにイベリア人の部族長であるアビリクスの計略にかかり、サグントゥムに捕らえられていたイベリア人の人質をローマに渡してしまった。これが引き金になってカルタゴに対する反乱が発生し、特に紀元前216年に発生したガデス(現在のカディス)近くのトゥルデタニ族の反乱は大規模であった。ハスドルバルは歩兵4,000と騎兵500を率い、イベリア半島を平定した後にイタリアに侵攻するように命令された。しかし、紀元前216年のかなりの期間をイベリア人の反乱の鎮圧に費やす必要があり、ローマ侵攻に関する準備は殆どできなかった。
戦争に象が使われるというのは、我々の時代では考えられないことだが、計略に引っかかったり反乱に悩まされるというのは我々の時代と同じだ。
エブロ川河口の海戦の後、グナエウス・スキピオには弟であるプブリウス・スキピオが兵8,000と共に加わった。両者共にプロコンスル(前執政官)の地位を得ており共同して軍の指揮をとっていた。兄弟はカルタゴ海軍を撃滅し、カルタゴ支配下のイベリアとバレアレス諸島を襲撃するという積極戦略を採用した。また、イベリア半島の諸部族にも同盟軍への参加を申し入れ、各都市に守備兵を置いて作戦範囲を広げ、エブロ川以北のローマ支配を強化した。また、親ローマの部族に対し、エブロ川以南の親カルタゴのイベリア部族に対する襲撃するように後押しをした。
カルタゴのハスドルバルが反乱に悩まされている間に、ローマのスキピオ兄弟は着々と準備を進めていたのですね。
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