163、ポエニ戦争(70)

文字数 1,239文字

第一次カプア包囲戦についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
またファビウスか。
ペドロ2世は嫌っていますが、ローマはファビウスがいたから勝てたのです。
ファビウスはハンニバルがアプリを離れカンパニアに戻ったことを知ると、直ちにローマを出発し彼の軍に合流した。続いてティベリウス・グラックスの元に使者を派遣し、軍をルケリアからベネヴェントゥムに移動させた。法務官を務めていた息子で同名のクイントゥス・ファビウスに行きグラックスの代理を務めるように命令した。全ての軍の指揮官達は所定の場所に向った。
ファビウスは像では若いイメージですが、実際は法務官を務めていた息子がいたのだからかなりの年齢になっていたはずです。
アヴェルヌス湖のハンニバルの元に南イタリアのタレントゥムらの使者が訪れ、街をローマから解放して欲しいとの懇願を受けた。ハンニバルは時機を見てその実行を約束した。(実現するのは2年後の第一次タレントゥム攻城戦である)。古いギリシャ植民都市であるタレントゥムは裕福であるだけでなく海に面していた。当時アドリア海対岸のマケドニアのピリッポス5世はカルタゴと同盟関係を結んでいた。
ピリッポス5世はアンティゴノス朝マケドニア王国の王です。
やはり港湾都市であるブリンディジは依然ローマとの同盟を維持していたため、タレントゥムはピリッポス5世が陸軍派遣を決意した場合、それを受け入れるのに最適であった。ハンニバルはクーマからミスヌム岬付近まで略奪し、プテオリに向い攻撃の準備を整えた。プテオリの守備兵は6,000であった。街は地形的に攻略が難しく、また防御態勢も整っていた。ハンニバルは3日に渡って攻めたが、占領できる可能性は無かった。結局包囲を解いてネオポリスに向い、付近を略奪した。
いろいろな人の名前や都市の名前が出てきて、わけがわからなくなってきた。
マルケッルスがノラ近くまで達すると、一般市民の中には再び反ローマ・反ノラ元老院感情が出来ていることを知った。実際、親カルタゴ派はハンニバルに使者を出し、降伏を申し出ていた。この親カルタゴ派に反対するノラ貴族は、マルケッルスに対応を依頼した。マルケッルスはヴォルトゥヌス川を越えることにやや難儀はしたものの、1日の内にカレスからスエッスラに移動した。翌日の夜にノラに歩兵6,000と騎兵300を急行させ、街を占領してノラ元老院を保護した。
同じ都市の中でもいろいろな考えの人がいて複雑ですね。
同じ頃、ファビウスはカシリウムに到着し、そこを守備するカルタゴ軍への攻撃準備ができていた。他方、グラックスとカルタゴのハンノはほぼ同時にベネヴェントゥム付近に到着していた。続く戦闘はグラックスの勝利に終わり、リウィウスによると15,000のカルタゴ兵が戦死するか捕虜となった(第一次ヴェネヴェントゥムの戦い)
ローマ側は誰が指揮官でも大きな違いはないが、カルタゴはハンニバルが指揮官としていたかどうかで結果がかなり違っているようだ。
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