105、ポエニ戦争(52)
文字数 1,112文字
ハンノとグラックスはほぼ同時にベネヴェントゥムに近づいていた。しかし、グラックスの方が先に街を占領し、街に守備兵を入れることができた。そこでグラックスは、ハンノが街から3マイルほど離れた場所に野営し、周囲を略奪していることを知った。グラックスは街を出て1マイルほど離れた場所に野営した。この時点で、グラックスは彼の2個「奴隷軍団」の兵士に対し、勝利の暁には自由を与えるとの元老院からの許可を得たことを伝えた。
両軍が戦闘態勢を取ったのは翌日であった。両軍共に配置は当時の典型的なものであった。ハンノは彼の右翼側をカロエ川に接するようにして騎兵を配置し、中央には歩兵、左翼にも騎兵を配置した。左翼の騎兵は開けた地域に展開しており、地形的に防御されていなかった。
ローマ軍の戦列はカルタゴ軍より広かった。ローマの左翼も騎兵であった。ローマ騎兵の右側に軍団歩兵が並んだ。通常ローマ軍は4個軍団から構成されており、内側にローマ2個軍団、その両側に同盟国軍団が配置された。しかし、この戦いに同盟国軍団が参加していたかは不明である。また、奴隷軍団に加えて正規のローマ軍団が参加していたかも不明である。右翼側も騎兵であったが、左翼よりも右翼の騎兵が主力であった。
だが、奴隷軍団は正規軍以上の力を発揮するかもしれない。彼らは奴隷で惨めな立場にいたから生きることに執着はせず、死を恐れない。そして勝利の暁には自由という大きな褒美が与えられる。大きな褒美を約束されていて死を怖れない時、その軍隊は限りなく強くなる。フスの処刑後、ボヘミアでフス戦争が起きたが、フス派のほとんどは訓練を受けた軍人ではなく民衆であった。それでも彼らが強くて戦争がなかなか収束しなかったのは、フスという殉教者がいて、彼らが死を恐れなかったからであろう。