164、ポエニ戦争(71)
文字数 1,334文字
ネオポリス付近を略奪した後、ハンニバルはノラに向った。マルケッルスはこれを聞き、スエッスラに残っていた法務官のマルクス・ポンポニウス・マトの軍を増援として直ちにノラに呼び寄せた。今回もハンニバルはノラを落とせず撤退せざるを得なかった。(第三次ノラの戦い)翌日にローマ軍は出撃したが、ハンニバルは野営地から動かなかった。3日目の夜、ノラ占領の見込みはないと判断したハンニバルは、タレントゥムに向った。
これらの戦闘はベネヴェントゥムとノラの間で起こったが、ファビウスは2,000のカンパニア兵と700のカルタゴ兵が守るカシリウム近くに野営していた。カシリウム側は奴隷と一般市民も武装して、ローマの野営地を襲ったが、これは失敗した。ファビウスはマルケッルスにノラに適当な数の守備兵を残してカシリウムに来るか、あるいはベネヴェントゥムのティベリウス・グラックスを派遣するように依頼した。
マルケッルスはノラに守備兵2,000を残してファビウスに合流した。すなわち、2人の執政官が協力してカシリウムを攻撃したことになる。しかし攻撃によるローマ兵の損害は少なくなく、ファビウスは攻撃を中止した。他方、マルケッルスは撤退せず、攻城兵器を準備した。これを見たカンパニア兵は、ファビウスに対して無血開城して近郊のカプアに撤退することを申し出た。しかしながら、カンパニア兵が城外に出ると、マルケッルスはこれを虐殺し、さらに城内に突入して殺戮を続けた。50人のカンパニア兵のみがファビウスの元に駆け込み、無事カプアに行くことが出来た。カンパニア兵とカルタゴ兵捕虜はローマに送られ監獄に閉じ込められた。市民は近郊の都市に移された。
一方、グラックスはベネヴェントゥムで大敗していたハンノの再起を阻止するため、南イタリアのルカニアに同盟国軍の兵の一部を派遣し、カルタゴ野営地近くを略奪させた。しかしローマ軍が分散しているところをハンノに攻撃されて多少の損害を受けた。ハンノはグラックスに追撃されることを恐れ、その後ブルティウムに撤退した。
グラックスの本軍はアッピア街道を進み、カルタゴ側の都市となっていたカウディウム(現在のモンテサルキオ)を破壊した。ファビウスもカルタゴ軍に寝返った都市を攻撃するためにサムニウムに向い、コンブルテリア、テレシア、コンプサ、ファギフラ、オビタニウムも破壊された。ルカニアのブランダ、アプリアのアイカ(現在のトローイア)はカルタゴ軍に占領されていた。これらの都市は奪回され、カルタゴ軍25,000が戦死、170が捕虜となった。捕虜はローマに連行され、タルペーイアの岩から突き落とされて殺された。マルケッルスはノラに戻った後病気を得、これらの作戦にはほとんど参加できなかった。