194、ポエニ戦争(74)

文字数 916文字

久しぶりのポエニ戦争です。作品集は下の画像から入って下さい。
第二次ベネヴェントゥムの戦いについて説明しよう。紀元前212年にベネヴェントゥム(現在のベネヴェント)近郊で発生した、ハンノ率いるカルタゴ軍とクィントゥス・フルウィウス・フラックス率いるローマ軍の間の戦闘である。ベネヴェントゥムでの戦いは紀元前214年に続いて2度目であるが、今回もローマが勝利した。
同じ場所で何度も戦闘が行われるということは、それだけそこが拠点となる重要な都市だったということですよね。
紀元前216年のカンナエの戦いの勝利の後、ハンニバルはイタリア半島のローマ同盟都市にカルタゴとの同盟を結ぶように働きかけた。紀元前212年頃までにいくつかの都市国家や部族はローマから離れたが、それにはカンパニアのアテラ、カラティア、アプリアの一部、サムニウム人(ペントリ族を除く)、ブルッティ族、ルカニ族、ウゼンティ族、ヒルピニ族、コンパサ(現在のコンツァ・デッラ・カンパーニア)、マグナ・グラエキアのギリシャ人都市国家ではタレントゥム(現在のターラント)、メタポントゥム、クロトーン、ロクリ、加えてガリア・キサルピナ全土等が含まれる。その中で最も重要な都市は、ローマに次ぐ都市であるカプアであった。他方、カプアから70キロメートル程の距離にあるベネヴェントゥムは、依然としてローマとの同盟関係を維持していた。
当時のイタリアにはたくさんの都市国家があったのですね。
紀元前212年にカプア攻略を狙ったローマ軍後を撃破した後(第一次カプア包囲戦)、ハンニバルはカンパニアを離れて南イタリアのタレントゥムの攻略を行っていた。他方ローマの2人の執政官(コンスル)、クィントゥス・フルウィウス・フラックスとアッピウス・クラウディウス・プルケルはサムニウムに滞在して、再度のカプア攻略の準備を行っていた。ローマ軍はカプア近郊の土地の種蒔を阻止していたため、カプアの食料は減り始めていた。
種蒔を邪魔するなどというせこいやり方は余は好きではない。
でも都市にとっても軍隊にとっても食料は重要な問題です。戦闘が長引くほど、食料がなくなれば生きていかれませんから。
そんなことはわかっている。
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