52、ポエニ戦争(27)
文字数 1,131文字
ファビウスは、それでも持久作戦を継続した。彼はハンニバルの進路にあたる街を焼き、穀物を刈り取る焦土作戦を実施するように命令した。ローマ軍とは異なり、補給線を確保していないカルタゴ軍の行動を阻害することを狙ったものだった。実際にこの戦術は有効であったと思われるが、ローマ人の忍耐は限界に達していた。
余は王になった時、貴族達に馬鹿にされ各地で反乱が起きた。余は若い頃の師匠で修道院長になった者に助言を求め、反乱を起こした貴族を騙してウエスカに集め、1人ずつ部屋に入れて刑を言い渡しその場で斬首して首を鐘のように高く積み上げた。この『ウエスカの鐘』の粛正で反乱はピタリと収まり、余は残虐非道な王と怖れられることとなった。
ラミロ2世の評判はアラゴン王家の中でもあまりよくありません。アラゴン王家ではその後2度とラミロという名前の王は出ていません。それでもラミロ2世はアラゴンの危機を救い、発展へと導いた偉大な王、私達バルセロナ朝アラゴン王の祖先です。ファビウスも同じです。いくらローマ市民がイライラして悪口を言ったとしても、結果としてローマを守ったのはファビウスです。