52、ポエニ戦争(27)

文字数 1,131文字

今日はアゲル・フレルヌスの戦い以後について話をしよう。
作品集には下の画像から入ってください。
ファビウスのとった一連の戦術に対する不満がローマで高まり、ファビウスの政治的影響力はこの戦闘の後に衰退し始めた。
やっぱりローマ市民もファビウスの戦略にイライラしたのですね。
当たり前だ!直接関係のない余でも話を聞いているだけでイライラしてきた。
ペドロ2世は気が短か過ぎます。だから真っ先に突撃して戦死するのです。
ハンニバルはファビウスの罠から逃れた後、ローマの資産を意のままに略奪し、アプリアに向かって東進した。
ハンニバルはもうやりたい放題ですね。
ファビウスは、それでも持久作戦を継続した。彼はハンニバルの進路にあたる街を焼き、穀物を刈り取る焦土作戦を実施するように命令した。ローマ軍とは異なり、補給線を確保していないカルタゴ軍の行動を阻害することを狙ったものだった。実際にこの戦術は有効であったと思われるが、ローマ人の忍耐は限界に達していた。
それでも戦略を変えなかったファビウスは立派だと思います。ここで忍耐が切れて下手にハンニバルの軍隊を攻撃すれば、ローマ軍は大きな痛手を負っていたでしょう。
だがローマ人の忍耐はもう限界に達していたではないか。フアン1世のように忍耐力のある者はローマ人にはあんまりいないだろう。
国が危機的状況にある時、大衆の人気を得るために手っ取り早い方法を使うのは賢いやり方ではありません。何が必要か、それを見極めることができるのが優れた指導者です。
余は王になった時、貴族達に馬鹿にされ各地で反乱が起きた。余は若い頃の師匠で修道院長になった者に助言を求め、反乱を起こした貴族を騙してウエスカに集め、1人ずつ部屋に入れて刑を言い渡しその場で斬首して首を鐘のように高く積み上げた。この『ウエスカの鐘』の粛正で反乱はピタリと収まり、余は残虐非道な王と怖れられることとなった。
ラミロ2世の評判はアラゴン王家の中でもあまりよくありません。アラゴン王家ではその後2度とラミロという名前の王は出ていません。それでもラミロ2世はアラゴンの危機を救い、発展へと導いた偉大な王、私達バルセロナ朝アラゴン王の祖先です。ファビウスも同じです。いくらローマ市民がイライラして悪口を言ったとしても、結果としてローマを守ったのはファビウスです。
ハンニバルはサムニウムを通ってアプリアに入り、ゲロニウムの街を冬営地として選んだ。ここでゲロニウムの戦いが生じるが、そこでローマ軍はまたもカルタゴ軍の策略にはまってしまう。
この先、ゲロニウムの戦いについても長い話があるのですが、ここでポエニ戦争については1回区切って次回からはフェニキア文字とヘブライ文字について何回か続けて書きます。
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