46、ポエニ戦争(21)

文字数 1,582文字

ポエニ戦争でのアゲル・フレルヌスの戦いの続きです。この戦闘は規模は小さいのですが、ローマ軍の状況が変わったので説明が長くなります。作品集には下の画像から入って下さい。
トラシメヌス湖畔の戦いに勝利したハンニバル率いるカルタゴ軍は南進してカンパニアに達した。トラシメヌス湖畔の戦いで執政官ガイウス・フラミニウス率いるローマ軍2個軍団は壊滅し、カルタゴのローマ侵攻を阻止すべきローマ軍は消滅した。もう1人の執政官であるグナエウス・セルウィリウス・ゲミヌスが率いる2個軍団はアペニン山脈の逆側、アリミヌム(現在のリミニ)付近にいたため、ハンニバルの南進阻止は不可能であった。
よくわからないけど、ローマはかなり危ない状況ですね。
また、ゲミヌスの軍団はトラシメヌス湖畔の戦い直後にハンニバル隷下の騎兵指揮官であるマハルバルにアッシシウム(現在のアッシジ)付近で待ち伏せ攻撃を受け、騎兵4,000が撃破されていたために、偵察能力をほとんど失っていた。ゲミヌスアリミヌムに撤退し、ポー平原におけるガリア人の襲撃に対応するのが精一杯であった。この時点での主導権はハンニバル側にあり、ローマ側は新たな軍団の編成が完了するまでイタリア半島内の防衛能力を失っていた。
ローマは大変な状況だったわけですね。
トラシメヌス湖畔の戦いでの敗戦の噂が広がると、ローマ市民の間にはパニックが広がり秩序は乱れた。この噂は法務官のマルクス・ポンポニウスがフォルム・ロマヌムで「我々は大きな戦闘で敗北した」と告げたため真実であることがわかった。
トラシメヌス湖畔の戦いでの敗北はローマ市民にまで影響を与えたというのか。
ポエニ戦争については本当に細かいところまで記録が残っていて驚きます。
元老院は次の策を協議していたが、3日後にはローマ騎兵がマハルバルに敗れたとの報告が届いた。
こういうタイミングで悪い知らせが届いたら大変です。
元老院もローマ市民も事の重大さを認識し、紀元前249年以来となる独裁官(ディクタトル)を選出することが決定された。現役執政官2人の内、ガイウス・フラミニウスはトラシメヌス湖畔の戦いで戦死し、もう1人のグナエウス・セルウィリウス・ゲミヌスは今なお遠隔地にいたため、独裁官は元老院議員の中から選ばれることとなった。
紀元前で僕達の生きた時代より2,000年近く昔のことなのに、同じ時代であるかのように詳しくわかるのがすごいです。
独裁官に選出されたのは、クィントゥス・ファビウス・マクシムスであった。彼はローマ貴族であるファビウス氏の一員で、独裁官選出の必要性を訴えていたが、ケントゥリア民会の支持も得て独裁官に選出された。独裁官の任期は6ヶ月であった。
ローマ側の記録は本当に細かいです。戦いのことだけでなく当時のローマの政治の仕組みなどもよくわかります。
ファビウスは既に58歳であり、ハンニバルと比較すると30歳も年長であったが、顔にいぼがあったため、「あばた顔(ウェッルコスス)」というあだ名が付けられていた。
顔にいぼがあるとか、どうでもいいことのような気がするが・・・
ファビウスは第一次ポエニ戦争に従軍、また紀元前233年と紀元前228年に執政官に選出され、紀元前230年には監察官(ケンソル)、またリグリア人に対する勝利にも貢献したとみられていた。
それだけ記録が残っているということは、ファビウスは年は取っているけど活躍したということなのか。
通常独裁官は自身で副官を選ぶが、彼の政敵であったマルクス・ミヌキウス・ルフス(平民出身で紀元前221年の執政官)が副官としてつけられた。したがって、ファビウスの実際の地位は独裁官代理のようなものであったが、任期中ファビウスは独裁官としての権力を十分に活用した。
ファビウスについての説明はまだまだ続いていましたが、長くなるのでここで区切ります。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色