161、ポエニ戦争(68)
文字数 1,149文字
ノラでは元老院はローマ側につき、一方民衆はハンニバルに降伏しようとしていた。夏の間、マルケッルスはヒルピニ族、サムニウム人、ガリア人に対して何度も襲撃を行い、かってサムニウムがローマに敗れた際の記憶を思い出させた。このためヒルピニ族やサムニウム人はハンニバルに使節を送り、軍事的保護を求めた。彼らは、マルケッルスの略奪に対してカルタゴ軍が自分たちを見捨てていると抗議した。ハンニバルは彼らを安心させ、土産を持たせて返し、直ちに反撃を行うと約束した。ハンニバルはティファタ山に少数の守備兵を残し、主力軍を率いてノラに向った。ノラ近郊で野営し、ブルティウムからのハンノの援軍と合流することにした。
ハンニバルは南イタリアで都市や部族を味方にしたいという思いがあるからこそ彼らに対して慎重ですね。紀元前はキリスト教が広がる前で無秩序な時代と思われがちですが、彼等もまた国の秩序やそれぞれの宗教を持っていてむやみに人を殺したりしないです。
マルケッルスは、その後もサムニウムの略奪を続けていたが、常に退却路は確保していた。全ての行動は、ハンニバルと対しているかのように慎重かつ良く分析されたものだった。カルタゴ軍の接近を察知すると、マルケッルスは直ちに兵をノラの城壁内に撤退させた。カルタゴ軍は周囲の略奪を始めたが、そこにローマ軍が襲いかかり(第二次ノラの戦い)、優勢に戦いを終えた。その日の戦いで5,000人のカルタゴ兵が戦死し、600人が捕虜となった。ローマの損害は1,000以下であった。当初はカルタゴに好意的だったノラの市民も、ローマを見直した。ハンニバルはノラから撤退し、ハンノをブルティウムに送り、自身はアプリアのアルピで冬営に入った。