119、ポエニ戦争(54)
文字数 1,242文字
シュラクサイ包囲戦は第二次ポエニ戦争中の紀元前214年から紀元前212年にかけて発生した攻城戦。シュラクサイ(現在のシラクサ)はシチリア島東岸の都市であるが、マグナ・グラエキア(南イタリアおよびシチリア)のギリシャ植民都市の中で最も繫栄していた。
包囲戦の間、街はアルキメデスが発明した兵器によって防衛されていた。アルキメデスは偉大な発明家であり博学者であったが、陥落後にローマ軍司令官マルクス・クラウディウス・マルケッルスの命令に反して殺害された。
第一次ポエニ戦争においてローマはシチリア島全体を支配下に置き、紀元前241年にはローマ最初の海外領土(シキリア属州)となった。しかし、シュラクサイのみはローマの同盟国として独立を保ち、ヒエロン2世の統治の下繁栄を続けていた。
ヒエロン2世は第一次ポエニ戦争時代にシュラクサイを支配していた人物。当初は僭主であったが、後に民衆により王に擁立される。メッシーナを簒奪した傭兵集団マメルティニと対立し、戦闘で破るも、これがローマとカルタゴの軍事介入を招き、第一次ポエニ戦争の原因となった。
ヒエロンはもともとエペイロス王ピュロスの将軍であり、彼の下で軍の指揮を行っていたが、紀元前275年彼がシチリアから去ると、軍隊によって総指揮官に任命され、現地に残ることを決めた。またシュラクサイの有力な市民の娘と結婚することにより、社会的に自らの立場を有利にした。
紀元前215年にヒエロン2世が死去すると、孫であるヒエロニムスが王位につき、シュラクサイの支配階級の中に反ローマ的な感情が出始めた。ヒエロニムスは暗殺され、親カルタゴ勢力も除去されたが、ローマの威嚇的姿勢のためにシュラクサイは戦争に備えざるを得なくなった。