157、ポエニ戦争(64)
文字数 869文字
今回から数回に分けて第一次カプア包囲戦について説明していこう。カプア包囲戦は第二次ポエニ戦争中の紀元前212年から紀元前211年にかけて行われた、共和政ローマによるカルタゴと同盟したカプアに対する攻城戦である。ローマ軍は2人の執政官(コンスル)クィントゥス・フルウィウス・フラックスとアッピウス・クラウディウス・プルケルに率いられていた。
初回の戦闘でローマ軍は敗れたが、整然と撤退することができた。この勝利により、ハンニバルはローマのカプアに対する包囲を一旦は解くことができた。しかしながら、再びローマはカプアを包囲し、翌年にこれを陥落させた。
カンナエの戦いの勝利により、ハンニバルは戦略的に重要な戦果を得ることができた。いくつかの都市国家や部族はローマから離れたが、それにはカンパニアのアテラ、カラティア、アプリアの一部、サムニウム人(ペントリ族)を除く、ブルッティ族、ルカニ族、ウゼンティ族、ヒルピニ族、コンパサ(現在のコンツァ・デッラ・カンパーニア)、マグナ・グラエキアのギリシャ人都市国家ではタレントゥム(現在のターラント)メタポントゥム、クロトーン、ロクリ、加えてガリア・キサルピナ全土等が含まれる。ネオポリス(現在のナポリ)はローマとの同盟関係を続けた。