198、ポエニ戦争(78)

文字数 1,075文字

シラルスの戦いについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
最初のカルタゴ騎兵攻撃に衝撃を受けたローマ軍の被害は甚大であった。この戦闘の後、2人の執政官はハンニバルを避けてカプアから撤退することとした。翌日の夜に2人は分かれ、フラックスはクーマに、プルケルはルカニアに向った。ローマ軍が二手に分かれた理由は不明である。ハンニバルは迷ったが、プルケルを追撃することにし、シラルス川(現在のセレ川)沿いの平原で追い着いた。
つまりローマ軍は二手に分かれ、追い着かれたところで戦闘が始まったのですね。
マニプルスの一つを指揮していたケントゥリオ(百人隊長)のマルクス・センテニウス・ペヌラは優れた体力と勇気で知られていた。ペヌラは法務官プブリウス・コルネリウス・スッラに対して、ハンニバルの追撃からプルケルと軍主力を逃がすため、殿として5,000の兵の指揮を任せてほしいと申し出た。ペヌラはこの付近の地形を熟知しており、独自の戦術でハンニバルに対応しており、何度もローマ軍司令官に勝利をもたらしていた。結果、5,000ではなく8,000(ローマ軍4,000、同盟国軍4,000)の兵力でハンニバルに対応することになり、さらに同数の非武装の志願兵が加わっていた。
ペヌラの役割はとても危険なものですよね。自らそうした役割を願い出るということは、ローマの社会がそうやって犠牲になった者を高く評価し、家族や一族の生活が保障されるというようなシステムができあがっていたからでしょうか?
ハンニバルが偵察でローマ軍の動きを察知していたのに対し、ペヌラにはカルタゴ軍の動きが不明であった。このためローマ軍は待ち伏せ攻撃を受ける形となった。これでエトルリア人部隊が逃走を図り、これが全軍にパニックを起こした。それでもローマ軍は善戦し、戦闘は2時間以上続いた。ローマ軍はペヌラが健在である間は耐えていたが、ペヌラがカルタゴ軍の飛び道具に倒れると、ローマ軍は崩壊した。
やっぱり中心になる者が倒れると全体が崩れてしまうのですね。
周囲をカルタゴ騎兵に囲まれたため、生き残って撤退できた兵士は僅か1,000名で、残りは全て戦死した。しかし、この犠牲のおかげでプルケルはハンニバルから逃れることができた。ハンニバルは追撃を中止し、東のアプリアに向い、そこの同盟都市を攻撃していたローマ軍に対処した。このため、2人の執政官は再び合流し、カプアへの嫌がらせ攻撃を続けた。
ハンニバルはどうすれば勝てるかよくわかっていて、ローマ軍は大きな戦いを避け、嫌がらせをするしかないような状況ですね。
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