128、ポエニ戦争(59)
文字数 1,124文字
この頃、法務官クィントゥス・ファビウス・マクシムス(クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ウェッルコスス・クンクタートルの息子)はルケラ(現在のルチェーラ)近くのヘルドニア(現在のオルドーナ)に駐屯していた。
続いて、約1000人の兵士を、街の近郊1.5キロメートル付近に野営させた。カルタゴ軍到着の3日前、ブルンディシウム(現ブリンディジ)のローマ艦隊を指揮した法務官マルクス・ヴァレリウス・レウィヌスはマルクス・リウィウスをタレントゥムに派遣した。
ハンニバルはアヴェルヌス湖に来た使者を信じ、タレントゥム周辺の破壊を行っていなかった。また、この時点でもなお、タレントゥムをローマから離脱させることを諦めていなかった。ハンニバルはここで冬営を行うことを決め、穀物を占領したメタポントゥムとヘラクレアから送らせた。またヌミディア兵とマウレタニア兵もそこから送らせ、アプリア近くの丘陵地帯の耕地を完全に略奪し、兵に分配した。