166、ポエニ戦争(73)

文字数 935文字

第一次カプア包囲戦についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
カルタゴ軍が敗北したことを聞くと、カプアはハンニバルに対し、2人の執政官がカプアから1日の距離のベネヴェントゥムにいることを知らせた。ハンニバルは周囲の略奪を防ぐために騎兵を派遣したが、その数は2,000に留まった。
カプアはハンニバルを頼り、逆にローマが周辺の略奪をするようになってきたのですか?
同じ頃、プルケルとフラックスはベネヴェントゥムからカプアに向かって兵を進めていた。ベネヴェントゥムを空にはできないため、ルカニアを占領していたティベリウス・グラックスに騎兵と軽歩兵を派遣させた。ティベリウスは途中でカルタゴ軍のマゴに待ち伏せ攻撃を受けたが、これを退けた。しかしグラックスは戦死し、その後の指揮はグナエウス・コルネリウス・レントゥルスが執ることになった。
ローマ軍は本当に色々な名前の人物が出てきて覚えにくい。
同じレベルの指揮官がたくさんいたことがローマ軍の強さの秘密です。
カンパニアに入ったローマ軍はカプア周辺の略奪を行ったが、マゴの率いるカルタゴ軍騎兵とカプア兵の奇襲を受けた。ローマ軍は蹴散らされ、1,500が戦死した。この後ローマ軍はより注意して行動するようになった。ハンニバルもまた弟のマゴと合流すべくカプアへ向かった。
弟のマゴもまた結構強かったのですね。
ハンニバルには、彼の不在中に起こった戦闘がカプアに有利であったため、カルタゴ軍の猛攻にはローマ軍は耐えられないとの確信があった。戦闘が始まると、カルタゴ軍騎兵の連続攻撃にローマ軍は苦しみ、また弓矢での攻撃に圧倒されていた。最初のカルタゴ騎兵攻撃に衝撃を受けたローマ軍の被害は甚大であったが、ローマ騎兵の反撃によりどうにか大敗北は避けることができた。
この戦いはカルタゴの方が勝っていますね。
この戦闘の後、2人の執政官はハンニバルを避けてカプアから撤退した。翌日の夜に2人は分かれ、フラックスはクーマに、プルケルはルカニアに向った。ハンニバルはプルケルを追撃し、その殿軍を撃滅して16,000を殺したが、プルケルの補足には失敗した(シラルスの戦い)
ハンニバルもまた容赦ないですね。
次回からはまたヘブライ語について見ていきます。
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