23、口とパピルス

文字数 1,158文字

フェニキア文字のペーとツァデについて説明しよう。ペーは口、ツァデはパピルスという意味だ。
作品集には下の画像から入ってください。
ペーは口というよりも舌のような形をしています。
目、口とどんどん小さくなり、顔の一部となってきた。
ペーは発音もPなのでわかりやすいです。それにフェニキア文字の先をくっつけて左右反転させたらラテン文字のPになりますね。
フェニキア文字からラテン文字への変化はわかりやすい。余は修道院で育ったからラテン語とラテン文字には詳しいが、ヘブライ文字やアラビア文字は覚えきれない。
僕もです。フェニキア文字の意味や形、ラテン文字との関係はなんとなくわかるけど、ヘブライ文字とアラビア文字がよくわからなくなりました。
フェニキア文字からヘブライ文字、アラビア文字はかなり形が変わっている。それぞれ別の文字として覚えなければならないから最初は大変であろう。だが、いろいろな言葉をフェニキア文字、ヘブライ文字、アラビア文字などで見ていくうちに、少しずつ慣れて区別がつくようになる。
次はツァデ、パピルスという意味の文字だ。
パピルスというのはどの時代に使われていたのか?
パピルスはプトレマイオス朝時代には、エジプトの輸出品として各地に広まりました。フェニキア人の都市ビブロスがそのギリシャ向けの積み出し港だったのでビブロスの名がパピルスを意味する語に、また本を意味するようにもなり、英語で聖書を意味するBibleという言葉もそこから来ているとされています。
文字とパピルス、そして本を意味する言葉、すべてフェニキア人に関係があるのですね。
後に羊皮紙が使われるようになり、さらに800年頃に紙の製法が中国から伝わるとパピルスは生産されなくなりました。
余が過ごした修道院には羊皮紙の本もたくさんあった。
羊皮紙は非常に高価なものでしたが、紙の本が普及するまでは広く使われていました。
私の生きた時代は、高価な本は羊皮紙が使われることもあったが、紙の本が一般的だった。本は修道士が手で書き写していたので非常に高価なものであった。修道院に貴重な本が多数保管され後の時代へと伝えられた。
フェニキア文字が作られた頃、文字はパピルスに書かれていたのであろう。
粘土板に葦の茎を使って文字を刻むには楔形文字が使いやすいけど、フェニキア文字は刻むのではなく書いた文字ですよね。
フェニキア文字のツァデがパピルスというのはすごくよくわかります。でもこの文字はギリシャ文字にはあってもラテン文字、キリル文字にはないですね。
なんらかの事情があって使われなくなったのだろう。パピルスは文字が発明された時代には広く使われていたが、紙が普及するにしたがって使われなくなった。だが、フェニキア文字、ヘブライ文字、アラビア文字、ギリシャ文字にはその形を残している。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色