38、ハスドルバルという名前(1)

文字数 1,087文字

今日はハスドルバルという名前について説明しよう。ハスドルバルはカルタゴで人気のある名前でハミルカル・バルカの娘婿(ハンニバルの義兄)、ハンニバルの弟など何人かこの名前の者がいる。
作品集へは下の画像から入ってください。
これはスペイン・カルタヘナにあるハスドルバル(カミルカル・バルカの娘婿)の胸像です。
ハスドルバル(紀元前270年ー紀元前221年)はカルタゴの将軍でハミルカル・バルカの娘婿。ハミルカル死後のイベリア半島を支配した。
ハスドルバルはハンニバルやその父ハミルカルとはどれくらい年が離れていたのですか?
ハミルカル・バルカ(紀元前275年頃ー紀元前228年)、ハンニバル・バルカ(紀元前247年ー紀元前183年)であるから、ハスドルバルはハミルカルとは5歳、ハンニバルとは23歳違いである。ハミルカルとハンニバルの父子は28歳違いであり、ハンニバルが19歳の時に父ハミルカルは47歳で亡くなっている。
ハスドルバルはハンニバルにとっては兄というよりも父と同年代ですね。
自身の子がまだ幼い時は同世代で同じように第一次ポエニ戦争を経験した娘婿のハスドルバルを頼りにしたと思う。
余は娘ペトロニーラが1歳の時にカタルーニャの君主、バルセロナ伯ラモン・バランゲー4世と婚約させた。2人は20歳以上年が離れていたが、ラモン・バランゲーは立派に役割を果たしてくれた。
第一次ポエニ戦争後、ハスドルバルはハミルカルに従ってイベリア半島に赴き、征服と植民地化を開始した。紀元前228年、ハミルカルが死亡するとハスドルバルは軍の指揮権を継承し、より強力に征服を推し進めた。
ハミルカルが亡くなった時、ハンニバルは19歳、ハスドルバルは42歳なので、ハスドルバルが間にいたからこそ、ハンニバルへの軍の指揮権もうまく継承されたように思います。
ハスドルバルは国内の整備にも力を注ぎ、カルタゴ・ノウァ(現カルタヘナ)を建設し首都とした。紀元前226年、ローマとの間にエブロ川以北に進出しない盟約を結んだ。その後もハスドルバルは内政の充実に力を注いだが紀元前221年に暗殺された。49歳であった。その後継者にはハミルカルの息子ハンニバルが26歳でなった。
他にハスドルバルの名前で有名な者は、ハンニバルの弟、ハスドルバル・バルカ(紀元前245年ー紀元前207年)がいる。ハンニバルとは2歳違いで、イタリア遠征の時はイベリア半島の指揮権を任されていた。
ハスドルバル・バルカの戦いと死については、ポエニ戦争の中で詳しく説明しよう。次回は実際にハスバルトルという名前をフェニキア文字で詳しく見ていくことにしよう。
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