48、ポエニ戦争(23)
文字数 1,537文字
話を少し前に戻す。第一次ポエニ戦争中の紀元前247年から紀元前241年までの間、ハミルカル・バルカはシチリアのカルタゴ陸軍を指揮していたが、ローマ陸軍と対抗できる兵力は有していなかった。このため会戦は避け、ローマ支配領域近くの難攻不落な場所に陣地を築き、ローマ軍に対する嫌がらせの攻撃を繰り返した。ハミルカルはいくつかの小さな勝利を収めることで、これを打ち破るのは困難との評判を作りあげ、カルタゴ軍を維持した。
勝てばいいですけど、負けて戦死しているのです。子孫は誰もいいと思っていません。戦争というのは好き嫌いでやるものではありません。相手の力と自分の力を見極め、時には粘り強く嫌がらせを行う、地味でもせこくてもいいのです。大事なのは勝って国を守ることであり、華々しく戦死することではありません。
ファビウスの率いるローマ軍は、規模においてはカルタゴ軍と同程度であったが、能力は劣っていた。ファビウスはハミルカルの息子であるハンニバルと決戦を行うか、あるいは新たな策略を立案する必要があった。結局ファビウスは、敵であるハミルカルの戦略を採用することになった。
ローマが軍団を編制し、政治的/宗教的行事を行っているとき、ハンニバルはハルティアからゆっくりと南下していた。この行軍の間に、軍は休息し、健康を回復し、再訓練を行い、装備を充実させ、穀物、家畜、食料等を集めた。西に方向を転じるまで沿岸の平地に沿って行軍した。
アルピ(現在のフォッジャの北方5マイル)近くでファビウス率いるローマ軍はカルタゴ軍と接触し、カルタゴ軍野営地から6マイル離れたアイカ(現在のトローイア)に野営した。ハンニバルは軍を整列させ戦闘を求めたが、ファビウスはこれを無視して野営地から出なかった。