48、ポエニ戦争(23)

文字数 1,537文字

ファビウスの戦略についての続きです。作品集には下の画像から入ってください。
ファビウスの実際の行動とこの石像のイメージはどうも合わないのだが・・・
話を少し前に戻す。第一次ポエニ戦争中の紀元前247年から紀元前241年までの間、ハミルカル・バルカはシチリアのカルタゴ陸軍を指揮していたが、ローマ陸軍と対抗できる兵力は有していなかった。このため会戦は避け、ローマ支配領域近くの難攻不落な場所に陣地を築き、ローマ軍に対する嫌がらせの攻撃を繰り返した。ハミルカルはいくつかの小さな勝利を収めることで、これを打ち破るのは困難との評判を作りあげ、カルタゴ軍を維持した。
なんだこのせこい戦い方は・・・ハンニバルの父ともあろう者がこんなことをチビチビやっていたとは・・・余はこんな戦い方は好きではない。勢いよく飛び出して突撃し・・・
勢いよく飛び出して突撃して戦死した。ペドロ2世の行動を子孫はみんな批判しています。狂気の沙汰だと。
アラゴンの王らしい勇敢な戦い方だと褒めているのではないか?
勝てばいいですけど、負けて戦死しているのです。子孫は誰もいいと思っていません。戦争というのは好き嫌いでやるものではありません。相手の力と自分の力を見極め、時には粘り強く嫌がらせを行う、地味でもせこくてもいいのです。大事なのは勝って国を守ることであり、華々しく戦死することではありません。
6年間このような戦闘の後、ローマは疲弊してほぼ破産状態となった。実際、新たな艦隊を建造するにあたっては、裕福な市民からの寄付に頼っている状態であった。
つまりハミルカルは大きな勝利を手に入れたわけではないけど、地味にローマを疲弊させたのですね。
ファビウスの率いるローマ軍は、規模においてはカルタゴ軍と同程度であったが、能力は劣っていた。ファビウスはハミルカルの息子であるハンニバルと決戦を行うか、あるいは新たな策略を立案する必要があった。結局ファビウスは、敵であるハミルカルの戦略を採用することになった。
あー、イライラする!敵の考えたせこい戦略をそのまま真似するとは・・・せっかく独裁官になって権限を手に入れたのだから、ここはもう思い切って突撃して勝利を掴んだ方がいい。
それで戦死するのですか?もしペドロ2世のような人がこの時独裁官に選ばれていたらローマは滅び、歴史は変わっていたでしょう。
僕もフアン1世と同じ考えです。この場合は突撃するよりも持久戦に持ち込んだ方が有利だと思います。
ローマが軍団を編制し、政治的/宗教的行事を行っているとき、ハンニバルはハルティアからゆっくりと南下していた。この行軍の間に、軍は休息し、健康を回復し、再訓練を行い、装備を充実させ、穀物、家畜、食料等を集めた。西に方向を転じるまで沿岸の平地に沿って行軍した。
やっぱり軍隊にものんびりしたり食料を集めたりする時間が必要なのですね。
フアン1世は戦争に行ったことはないだろう。
ええ、私は鷹狩りや祝宴を楽しんでばかりいました。だから不真面目王と呼ばれたのです。
アルピ(現在のフォッジャの北方5マイル)近くでファビウス率いるローマ軍はカルタゴ軍と接触し、カルタゴ軍野営地から6マイル離れたアイカ(現在のトローイア)に野営した。ハンニバルは軍を整列させ戦闘を求めたが、ファビウスはこれを無視して野営地から出なかった。
ああー、イライラする。余がハンニバルなら頭にきていた。
ペドロ2世でなくてハンニバルもきっと頭にきていたと思います。でもこれがファビウスの戦略なのです。
余はファビウスは好きではない。大嫌いだ!
私はファビウス好きですよ。戦闘のことはよくわからないけど、こういう作戦はおもしろいです。
というわけで、ファビウスの戦略についてまだまだ続きます。
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