49、ポエニ戦争(24)

文字数 1,881文字

ファビウスの戦略についての続きです。作品集には下の画像から入ってください。
もうこの石像を見ただけでファビウスという名前が思い浮かぶようになった。敵であるハンニバルの父ハミルカルの真似をして、チビチビ嫌がらせをするのだろう。余はこういう戦い方は大嫌いだ!
でもこういう戦いの記録から多くのことを学べます。自分の力を見極め、国を守るためにどのような戦略を立てたらいいか、私は不真面目王と呼ばれ活躍できないまま死んでいますが、こういうことをもっとたくさん知りたいです。ラミロ2世はどう思われますか?
余は修道士王と呼ばれ、戦争に関わったことは全くなかったが、余の性格は基本せっかちである。王になってから反乱を起こした貴族を粛正し、結婚して1人娘ペトロニーラをもうけ、娘とバルセロナ伯の婚約を決めて退位して修道院に戻った。王であったのはたったの3年だ。だから余もペドロ2世と同じようにファビウスの戦略はイライラする。
ペドロ2世とラミロ2世はイライラしているようですが、とにかくファビウスの戦略は続きます。
それから数か月、ファビウスは後世に「ファビアン戦略」として知られる持久戦略をとりつづけ、「のろま」(クンクタートル)と呼ばれるようになった。
ほらみろ。不名誉な名前で呼ばれるようになった。このような不名誉な名前、余には耐えられない。
何を言われてもいいのです。大切なのは敵を消耗させ、戦いを有利に進めることですから。
ハンニバルの挑発にも関わらずローマ軍は常に会戦を拒否し、距離をとって、またカルタゴ軍騎兵がその優位性を生かせないよう高地に位置取り、常にカルタゴ軍を影のように追っていた。ローマ軍は常にカルタゴ軍が攻撃できないような場所に野営し、軽歩兵と騎兵からなる遊撃隊が食料調達部隊を守っていた。
これをやられたら嫌ですよね。
カルタゴの食料調達隊と脱落兵を見つけた場合は可能であれば倒すことにした。この戦略では、カルタゴ軍がローマ同盟都市を略奪し破壊するのを阻止することはできなかったが、ローマ軍は貴重な戦闘経験を身に付けつつも、無傷のままであった。
ローマ軍が無傷なのはいいけど、やっぱりペドロ2世と同じように兵士もイライラしたと思います。
ファビウスはまた同盟都市がカルタゴ側に付かないように介入工作を実施した。この戦略は紀元前217年の夏中続けられたが、この間ローマの経済資産の多くが破壊される結果となり、ローマ市民の忍耐も限界に達した。
ほらみろ。ファビウスの戦略は余だけでなくローマ市民までイライラさせている。経済的に打撃を受けて、それでも同じ戦略を続けるファビウスの気がしれない。
でも、ローマの歴史家がこれだけ細かくファビウスの軍隊の動きとハンニバルの軍隊の動きを記録に残しているということは、それだけこの時期の両軍の動きが歴史を変えたからだと思います。僕たちはポエニ戦争の結果を知っています。でもファビウスは結果を知らなくてもこれが最良の策だという確信があったのでしょう。
途中の経緯は長くなるので省略するが、ハンニバルのカルタゴ軍はアゲル・フレルヌスでファビウスのローマ軍に包囲された。
おおー!これでやっと戦闘が始まるのか。
全ての経路を遮断されたハンニバルはいずれ動くしかなかったのだが、ファビウスはカルタゴ軍を観察するのみで決戦を強要することはなかった。しかし一方この戦略はローマ軍の安全は担保したが、ファビウスのローマにおける政治的評判は低下していた。彼の部下も元老院も、包囲されているハンニバルを早急に叩き潰すことを望んでいた。
当たり前だ!早く攻撃しろ!
だが、ホスティリウス・マンキヌスが騎兵400を率いて偵察したとき、カルタロ率いるヌミディア騎兵と戦闘になりローマ騎兵は全滅、マンキヌスも戦死した。
偵察に行って戦闘になり、全滅するとは・・・全くローマは何をやっている!
いまなおカルタゴ軍は依然強力であり、ローマ軍は時が来るまで待ち続けるしかなかった。その頃ファビウスは宗教行事のために一旦ローマに戻った。裕福なローマ人はハンニバルが彼らの資産を破壊しているという危機意識を持っており、彼らにファビウスの戦略を納得させるのも目的の1つであった。
ここでこのような戦略を取り続けたファビウスは偉いと思います。普通だったら突撃してハンニバルにこっぴどくやられていたでしょう。でも彼は機会を待ち続けたのです。誰にでもできることではありません。
このような感じで、アゲル・フレルヌスの戦いは、戦闘の規模はそれほど大きくないのにその前の状況については細かく書いてありました。
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