224、ポエニ戦争(79)
文字数 1,182文字
第一次ヘルドニアの戦いについて説明しよう。第二次ポエニ戦争中の紀元前212年にヘルドニア(現在のオルドーナ)で発生した、ハンニバル率いるカルタゴ軍と法務官(プラエトル)グナエウス・フルウィウス・フラックスの間の戦い。ローマ軍は完敗し、アプリア(現在のプッリャ州)を失った。
紀元前216年のカンナエの戦いの勝利の後、ハンニバルはイタリア半島のローマ同盟都市にカルタゴとの同盟を結ぶように働きかけた。紀元前212年頃までにいくつかの都市国家や部族はローマから離れたが、それにはカンパニアのアテラ、カラティア、アプリアの一部、サムニウム人(ペントリ族を除く)、ブルッティ族、ルカニ族、ウゼンティ族、ヒルピニ族、コンパサ(現在のコンツァ・デッラ・カンパーニア)、マグナ・グラエキアのギリシャ人都市国家ではタレントゥム(現在のターラント)メタポントゥム、クロトーン、ロクリ、加えてガリア・キサルピナ全土等が含まれる。その中で最も重要な都市は、ローマに次ぐ都市であるカプアであった。
カプア攻略を目指していた2人の執政官アッピウス・クラウディウス・プルケルとクィントゥス・フルウィウス・フラックスはカプアでの戦闘に敗れたが、ハンニバルをカプアから引き離すために二手に分かれて撤退した。
フラックスはクーマに、プルケルはルカニアに向った。ハンニバルは迷ったが、プルケルを追撃することにし、それにシラルス川(現在のセレ川)沿いの平原で追い着いた。ここでハンニバルはローマ軍に大勝した(シラルスの戦い)
しかしローマ軍は諦めず、執政官2人は攻城兵器を準備し再びカプアを包囲することとした。ヴォルトゥルヌス河沿いのカシリヌムに食料を集積し、また河口のヴォルトゥルヌムの防備を強化して守備兵をおいた。また制海権強化のためプテオリ(現在のポッツオーリ)にも守備兵をおいた。これら二つの港湾要塞とローマの外港であるオスティアに、サルディニアからの食料と法務官のマルクス・ユニウス・シラノがエトルリアで冬季に集めた食料を集積した。
この危機的な状況の中、ハンニバルはカプアを離れることは望まなかったが、法務官グナエウス・フリウィウス・フラックスがアプリアの幾つかのカルタゴ側都市を攻撃し成功したとの連絡が届いたため、そちらに対処するためにアプリアに向かわざるを得なかった。ハンニバルはこの新しく編成されたローマ軍を壊滅する意思を固めていた。