21、ポエニ戦争(7)

文字数 976文字

紀元前218年、ハンニバルはカルタゴ・ノウァを出発した。はじめハンニバルの軍勢は歩兵90,000人(リビア兵60,000、ヒスパニア兵30,000)、騎兵12,000(ヌミディア兵主体)、戦象37頭であった。
作品集のページには下の画像から入ってください。
ちなみにレコンキスタでの最大の戦いで余も参加したナバス・デ・トロサの戦いでカトリック連合軍の戦力が約50,000に対してムワヒッド朝は125,000だった。
ハンニバルの軍隊はかなり多いですよね。
しかも大半が傭兵である。よくこれだけ外国人の傭兵を集めて訓練をしたものだ。
しかも象とかいう謎の巨大な生き物も連れて行っている。余は馬に乗るのも難しい。象とかいう謎の生き物を連れて戦争に行くなど信じられない。
私も大勢の外国人傭兵を指揮したり、象という謎の生き物を連れて戦争に行くのは嫌ですね。なんかすごく面倒な気がします。そんな慣れないことをするよりも、気心の知れた仲間と狩りに行くのが私には1番合っています。
勇敢なことで知られたアラゴン王家の者にしては随分情けないことを言っている。
ここに集まっているのは生きている時にあまり評価されなくて亡霊になった者ばかりですから。
ハンニバルはエブロ川を渡ったところで、歩兵10,000人、騎兵1,000人をピレネー山脈からエブロ川までの守りに残し、また遠征に不安を抱いたヒスパニア兵は帰還させた。ハンニバルの軍勢は歩兵50,000、騎兵9,000、戦象37頭となった。これを率いて、ハンニバルはピレネー山脈を越えガリアに入った。
ハンニバルはアルプス越えが有名ですが、この人数でピレネー山脈を越えるのも結構大変だと思います。
ハンニバルはローヌ川を渡るにあたり、騎兵を上流から先発させて対岸のガリア人を掃討し、妨害を排除したが渡河は危険で多くの犠牲が出た。ここでハンニバルの軍勢は歩兵、騎兵合わせて46,000まで減り、戦象も30頭ほどになった。
この渡河の時、ローヌの下流を巡回していたハンニバルの騎兵500がハンニバル軍を探索するローマ騎兵300と戦闘になった。この時にローマの執政官プブリウス・コルネリウス・スキピオが現地に駆け付けたが、彼の到着の3日も前にハンニバルは渡河を終えてアルプス山脈に向かっていた。
この後、ハンニバルはいよいよアルプス越えをするのですね。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色