59、ポエニ戦争(29)

文字数 1,314文字

ゲロニウムの戦いの続きです。作品集には下の画像から入って下さい。
またファビウスの像が出て来た。
まだまだファビウスの作戦が続くと思います。
アゲル・フレルヌスの戦いに勝利してファビウスの罠から逃れたハンニバルは、その軍と戦利品と共に、モリーゼに向かって東進した。ファビウスは持久戦略を続け、会戦が生じないように高地を選んで注意深くカルタゴ軍を追尾していた。カルタゴ海軍は紀元前218年の開戦以来、ローマの沿岸を襲撃していた。ローマ海軍は毎年アフリカ沿岸を襲っていた。
ハンニバルとファビウスの持久戦だけでなく、他の場所での戦いもあったのですね。
イベリア半島のハスドルバル・バルカは紀元前217年のエブロ川河口の海戦での敗戦以来、ローマ占領地に対する遠征軍を送っていなかった。イベリア半島におけるローマ軍指揮官のグナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウスに、弟のプブリウス・コルネリウス・スキピオが8,000の兵力を引き連れて合流し、ローマ軍の兵力は歩兵30,000と騎兵3,000に増強された。兄弟は執政官(コンスル)の任期が終わった後も前執政官(プロコンスル)として軍を率い続けたいた。
やっぱりローマは兵士の数も多いし、それを率いる立場の人も大勢いたわけですね。
スキピオ兄弟はイベリア人部族の部族長であるアベロクスの反乱に乗じて、サグントゥム(現在のサグント)でカルタゴ軍に捕らわれていた人質を取り戻すことができた。これによりイベリア半島のカルタゴ勢力は弱体化し、逆にローマのそれは強化された。スキピオ兄弟はカルタゴ領イベリアに大規模な攻撃をかけることはなく、エブロ川以北におけるローマ勢力の強化に努めていた。
イタリアでのハンニバルの勢いが止まらないのに比べて、イベリア半島ではカルタゴの力は弱くなっているようです。
カリファエ山の峠を通ってアゲル・フレルヌスを脱出した後、カルタゴ軍の動きは大量に捕獲した家畜のためにゆっくりとしたものであり、冬営地に適した場所を探していた。ファビウスとローマ軍は直接接触を避けるように距離をとり、カルタゴ軍を追尾した。ハンニバルは北のヴェネフラムへ向かったが、ローマはこの都市がカルタゴ軍の目的だと警戒した。
こういう追跡は本当にイライラする。
しかし、カルタゴ軍は急に東に転進しサムニウムに入り、アペニン山脈を越えてペリグニアル平原を通過して、現在のモリーゼ州付近へ達した。カルタゴ軍は現在のカザカレンダ近くのゲロニウムという街を奪取した。
どこへ行くかわからないハンニバルのカルタゴ軍をただ追っていく、ファビウスは本当に忍耐強いです。
ファビウスはハンニバルを追尾し続け、北方20マイルのラリヌムの丘陵部に野営した。ファビウスが抵抗しなかったために、カルタゴ軍が通過した場所では農場や家屋は破壊され、資産は奪取され、また捕虜を獲得していった。
ハンニバルのやりたい放題ではないか。なぜファビウスは攻撃しないのか、余にはさっぱりわからない。
でもこうしたことが細かく記録に残っているということは、ファビウスの作戦が後に役に立ったということだと思います。
ゲロニウムの戦いについても長い説明が書いてありました。
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