27、ポエニ戦争(11)
文字数 1,536文字
ティキヌスの戦いでの交戦勢力はカルタゴ対共和制ローマ、指揮官はハンニバルとプブリウス・コルネリウス・スキピオで戦力はカルタゴが騎兵約6,000に対してローマは騎兵、軽装歩兵が合わせて4,000であった。
一般的なピルムは木製の柄と鉄製の穂の合成品で、全長はおよそ150センチメートルから200センチメートル、重量はおよそ2キロから4キログラムでした。共和制後期から帝政初期のローマ兵は通常2本のピルムを携行しました。
続いてカルタゴ騎兵とローマ騎兵の交戦が始まった。もとよりローマ軍は数で劣っていて次第に圧倒された。両翼のヌミディア騎兵が早々にローマ騎兵両翼を撃破し、ローマ軍中央は包囲されそうになった。さらにスキピオもカルタゴ騎兵によって負傷させられたため、ローマ軍は野営地まで撤退した。
いや、この戦いは偵察部隊同士の遭遇戦であり、互いに大きな損害を出したわけではなかった。しかし、ハンニバルのローマに対する初勝利という点で十分な宣伝効果があった。この戦い以後、現地兵の徴募が円滑に進むようになった。さらにローマ軍内のガリア兵2,200名が脱走して、カルタゴ軍に合流した。この結果、カルタゴ軍は約40,000名まで増加した。
怪我をした時に助け出したのが息子でなくても、スキピオもまた息子と一緒に戦うという幸運に恵まれました。でも私の子は娘2人が無事育っただけで、私は後継者となる息子を持つことはできませんでしたので、そのことはうらやましいです。