27、ポエニ戦争(11)

文字数 1,536文字

紀元前218年11月、ハンニバルがアルプスを越えた後の最初のローマ軍との戦いはティキヌス川付近で行われた。
作品集には下の画像から入ってください。
ティキヌスの戦いでの交戦勢力はカルタゴ対共和制ローマ、指揮官はハンニバルとプブリウス・コルネリウス・スキピオで戦力はカルタゴが騎兵約6,000に対してローマは騎兵、軽装歩兵が合わせて4,000であった。
どちらも全軍で戦ったわけではないですね。
ハンニバルは騎兵を率いて偵察に向かい、一方のスキピオもウェリテス(軽装歩兵)と騎兵を率いて偵察に出ていた。偶然会った両軍はそのまま戦闘に突入した。
ハンニバルは両翼に精強なヌミディア騎兵を置き、中央にガリア・ヒスパニア騎兵を置いた。
偵察で突然出会って戦いが始まっても、騎兵をどのように置いたらいいか考えていたのだな。
ローマ側は前面にウェリテス(軽装歩兵)の戦列を並べ、その後方に騎兵を置いた。
ラミロ2世、我々のように戦争に不慣れな者は両翼とか軽装歩兵とか言われてもピンときませんね。
確かにそうだ。そのような大群をどのように並べたら勝てるのかさっぱりわからない。
カルタゴ軍の騎兵が突撃すると、ローマ軍軽装歩兵はピルム(投げ槍)を投擲した。
一般的なピルムは木製の柄と鉄製の穂の合成品で、全長はおよそ150センチメートルから200センチメートル、重量はおよそ2キロから4キログラムでした。共和制後期から帝政初期のローマ兵は通常2本のピルムを携行しました。
重くて持ちにくい槍や盾を持って歩かなければならない、ローマ時代の歩兵にはなりたくないですな。
まったくだ。余は本より重いものは持ったことがない。
持っていた2本の槍を投げてしまったらどうするのですか?
そうしたら剣で戦えばよい。
ローマ軍の軽装歩兵はピルムを投擲したがカルタゴ軍の前進を阻止できず、逆に突入されて歩兵戦列は乱れ、またたくまに壊走した。
槍が敵にうまくあたらず、騎兵が突入してきたら怖くなって逃げ出すのも無理はないと思います。
続いてカルタゴ騎兵とローマ騎兵の交戦が始まった。もとよりローマ軍は数で劣っていて次第に圧倒された。両翼のヌミディア騎兵が早々にローマ騎兵両翼を撃破し、ローマ軍中央は包囲されそうになった。さらにスキピオもカルタゴ騎兵によって負傷させられたため、ローマ軍は野営地まで撤退した。
カルタゴの圧勝ですか?
いや、この戦いは偵察部隊同士の遭遇戦であり、互いに大きな損害を出したわけではなかった。しかし、ハンニバルのローマに対する初勝利という点で十分な宣伝効果があった。この戦い以後、現地兵の徴募が円滑に進むようになった。さらにローマ軍内のガリア兵2,200名が脱走して、カルタゴ軍に合流した。この結果、カルタゴ軍は約40,000名まで増加した。
我々の時代の戦争は他の国から援軍が来ることはあっても、現地の人間を兵に加えるということはほとんどなかった。
負傷したスキピオを包囲下から救い出したのはリグリア人の奴隷という説と息子のスキピオ・アフリカヌスだという説がある。後者は創作とも考えられている。
怪我をした時に助け出したのが息子でなくても、スキピオもまた息子と一緒に戦うという幸運に恵まれました。でも私の子は娘2人が無事育っただけで、私は後継者となる息子を持つことはできませんでしたので、そのことはうらやましいです。
ハンニバルは最終的勝利に不可欠なローマ同盟諸都市の離反を誘うためにもより大きな勝利が必要で積極的に決戦を求めた。一方スキピオは軍をプラケンティア、その後トレビア川以南まで撤退させ、同僚の執政官ティトゥス・センプロニウス・ロングスと合流した。両軍はトレビア川を挟んで対峙し、続くトレビアの戦いに臨むこととなった。
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