117、アルキメデス(5)
文字数 1,194文字
2世紀の著述家ルキアノスは、紀元前214年ー紀元前212年のシラクサ包囲の際にアルキメデスが敵船に火災を起こして撃退したという逸話を記している。数世紀後、トラレスのアンテミオスはアルキメデスの兵器とは太陽熱取りレンズだったと叙述した。これは太陽光線をレンズで集め、焦点を敵艦に合わせて火災を起こしていたもので「アルキメデスの熱交戦」と呼ばれたという。
このようなアルキメデスの兵器についての言及は、その事実関係がルネサンス以降に議論された。ルネ・デカルトは否定的立場を取ったが、当時の科学者たちはアルキメデスの時代に実現可能な手法で検証を試みた。その結果、念入りに磨かれた青銅や銅の盾を鏡の代用とすると太陽光線を標的の船に集めることができた。これは太陽炉と同様に放物面反射器の原理を利用したものと考えられた。
1973年にギリシアの科学者イオニアス・サッカスがアテネ郊外のスカラガマス海軍基地で実験を行った。縦5フィート(約1.5m)横3フィート(約1m)の銅で被膜された鏡70枚を用意し、約160フィート(約50m)先のローマ軍艦に見立てたベニヤ板製の実物大模型に太陽光を集めたところ、数秒で船は炎上した。ただし模型にはタールが塗られていたため、実際よりも燃えやすかった可能性は否定できない。
2005年10月、マサチューセッツ工科大学(MIT)の学生グループは一辺1フィート(約30cm)の四角い鏡127枚を用意し、木製の模型戦に100フィート(約30m)先から太陽光を集中させる実験を行った。やがて斑点状の発火が見られたが、空が曇り出したために10分間の照射を続けたが船は燃えなかった。しかし、この結果から気象条件が揃えばこの手段は兵器として成り立つと結論づけられた。
MITは同様な実験をテレビ番組『怪しい伝説』と共同し、サンフランシスコで木製の漁船を標的に行われ、少々の黒こげとわずかな炎を発生させた。しかし、シラクサは東岸で海に面しているため、効果的に太陽光を反射させる時間は朝方に限られてしまう点、同じ火災を起こす目的ならば実験を行った程度の距離では火矢やカタパルトで射出する太矢の方が効果的という点も指摘された。