98、ポエニ戦争(50)

文字数 1,153文字

カルヌスの戦いの後、サルディニア海の海戦がありました。作品集には下の画像から入ってください。
この遠征に使われたカルタゴ軍輸送船の数は不明だが、その護衛のために60隻の五段櫂船は派遣された。
海を越えての遠征の場合は、戦いの場所は陸地でも海軍の力が必要になりますね。
カルタゴ海軍は残存兵を救出してアフリカに向かったが、途中でアフリカ襲撃から戻る途中のローマ艦隊に遭遇した。ローマ艦隊の戦力は五段櫂船で100隻で、ティトゥス・オカティリウス・クラッススが指揮を執っていた。
こんな場所でローマ艦隊に遭遇するとはカルタゴ軍は運が悪い。
ローマ艦隊はカルタゴ艦隊を攻撃し、7隻を鹵獲したが残りはアフリカに戻った。ローマ側の損害は不明である。
戻る途中で襲われたら大変ですよね。
その後反乱を起こしていたサルディニアの諸都市はローマに降伏し、マンリウスは兵の一部をイタリアに戻すことができた。
サルディニアでの反乱を抑えるために置いた兵の一部をイタリアに戻すことができたということですね。
サルディニアからの穀物の供給が安定し、カルタゴ海軍はローマの近くに根拠地を持つことができなくなった。ローマの農業が損害を受けていたため、海外からの食料供給は重要であった。
サルディニアを手に入れたことでローマは食料供給が安定し、逆にカルタゴはローマ近くの根拠地を失ったのか。
それはそんなに重要なことなのか?
当たり前です!食料の補給ができなくなれば、戦う事もできなくなります。
紀元前210年の海軍による襲撃を除き、カルタゴはサルディニアのローマ支配を脅かすことはできなかった。
サルディニアやシチリアなど地中海の大きな島は拠点として重要になってくるわけですね。
だからシチリアは多くの民族が征服し支配するという歴史を繰り返してきた。ハインリヒ7世の悲劇も父フリードリヒ2世がシチリアを統治し、ハインリヒ7世がドイツを統治していたことから起きたのかもしれない。父と子が離れて暮らし、全く違う体制の国を統治していたからこそ対立してしまった。
シチリアのことはよくわからないが、ローマ王として統治しなければいけないドイツは諸侯の複雑な争いがあった。
ポエニ戦争について勉強していると、雄牛2000頭が走って騙されたり、挑発されたり、いろいろな駆け引きが出てきます。そして上に立つ者のちょっとした過ちで多くの犠牲が出てしまう、これは私達が生きた時代も同じだと思います。私達の人生と時代は終わっていますが、こうして学んだ知恵を今生きている人間に伝えることで、大きな悲劇を防げるのではないかと思いました。
フアン1世はたまによいことを言う。余は聞いていて涙が出そうになった。余の人生など過ちばかりだが、それでも余の経験を伝えることで、大きな悲劇を防げるかもしれない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色