197、ポエニ戦争(77)

文字数 1,089文字

シラルスの戦いについて紹介します。作品集は下の画像から入って下さい。
シラルスの戦いは第二次ポエニ戦争中の紀元前212年に発生した戦闘である。カプアから撤退する執政官アッピウス・クラウディウス・プルケルを逃がすため、マルクス・センテニウス・ペヌラが兵力8,000でローマ軍の殿軍を務めた。それを追撃するハンニバルのカルタゴ軍の兵力は25,000~30,000であり、カルタゴ軍兵力がローマ軍を上回っていた数少ない戦闘の一つである。カルタゴ軍は大勝したが、戦争の帰趨に対する影響はほとんどなかった。
紀元前212年、ハンニバルが南イタリアのタレントゥムの攻略を目指している時、2人の執政官、アッピウス・クラウディウス・プルケルとクィントゥス・フルウィウス・フラックスはカプア攻略の意図を持って軍を進めていた。カンパニアに入ったローマ軍はカプア周辺の略奪を行ったが、マゴ率いるカルタゴ軍騎兵とカプア兵の奇襲を受けた。ローマ軍は蹴散らされ、1,500が戦死した。
弟のマゴも結構強いですね。
この後ローマ軍はより注意して行動するようになった。ハンニバルもまた弟のマゴと合流すべくカプアへ向かった。ハンニバルには、彼の不在中に起こった戦闘がカプアに有利であったため、カルタゴ軍の猛攻にはローマ軍は耐えられないとの確信があった。
どうしてハンニバルはカルタゴの勝利に確信を持っていたのでしょうか?
それは自らが率いるカルタゴ軍が負けるわけないという確信があったからだ。余も同じだ。ペドロ2世が率いるアラゴン軍は負けるわけないと確信していた。
そして戦死しました。ペドロ2世が今までの戦い(レコンキスタ)では負けたことがなく、勝利を確信していたというのはわかります。でもハンニバルは直接自分がその場所にいなくてもカルタゴ軍が負けたという戦闘を何度も経験しているわけです。ペドロ2世は単純だから、今まで負けたことがないから勝てると信じていました。そしてあっさり戦死して子のハイメ1世に迷惑をかけています。でもハンニバルは負けも経験してペドロ2世よりずっと冷静に戦況を分析できたはずです。それでも勝を確信していたのはなぜか、それが私は気になるのです。
フアン1世は余を怒らせたいのか!
戦闘が始まると、カルタゴ軍騎兵の連続攻撃にローマ軍は苦しみ、また弓矢での攻撃に圧倒されていた。しかし、戦死したティベリウス・グラックスに代わってグナエウス・コルネリウス・レントゥルスが率いる新たな軍が接近してきた。両軍ともにこれが敵軍であることを恐れ、戦場から引き上げた。
やっぱりハンニバルのいる軍隊は強いですね。
当たり前だ!
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