13、ウガリットの遺跡

文字数 1,144文字

今日は予定を少し変更してウガリットの遺跡について紹介します。作品のページには下の写真から入って下さい。
遺跡の話ということは、またハンニバルからは遠ざかってしまうのか?
まあそうですね。ハンニバルの名前バアル神について調べていたらウガリット神話に辿り着いたので、ウガリットについて調べてみました。
私は歴史や神話についてもかなり研究してきたが、ウガリット神話という言葉は初めて聞いた。
ウガリットというのは現在のシリア・アラブ共和国の西部にあった都市国家で湾岸都市でした。1928年に農民が海辺の畑の中から偶然古い墳墓を見つけたことから発掘が始まりました。
発見されたのが20世紀なら我々16世紀の人間が知らないのも無理はない。
最初に見つかったのはウガリットのネクロポリス(巨大墓地や埋葬所)ですが、発掘が進むにつれて港町でかつチグリス川、ユーフラテス川流域への内陸交易路の出発点でもある重要都市であることがわかってきました。
これはウガリットの宮殿の入り口跡です。ウガリットからは8つの中庭の周りに90の部屋を持つ王宮が発掘されています。
よくわからないが、余が生きていた頃のアラゴンの王宮よりも大きい。それはいつの時代のことだ?
紀元前16世紀から紀元前13世紀にかけてがウガリットの全盛期でした。
かなり古い時代ですね。
ウガリットの街には個人用の大きな住宅の他に2つの個人図書館(うち1つはラパヌという外交官のもの)もありました。
図書館といっても当時は紙の本はないだろう。
当時の記録は粘土板に楔型文字で書かれていました。外交文書、近隣諸国との往復書簡、裁判文書、経済関係の記録、不動産取引記録、教育用文書、文学書、宗教文書などが発見されています。
そんなにいろいろな記録が残っているのか。ああ、そのウガリットの楔型文字というのを読んでみたい!
ウガリット文字について現在は解読されているので、ウガリットの歴史もかなり詳しくわかっています。
文字があり、記録が残っていることは素晴らしいことである。遠い昔の遠い異国での出来事が手に取るようにわかる。そのような情報が簡単に手に入るとは、現代とは奇跡のような時代だ。
ウガリットには新石器時代には人間が居住していて、紀元前6000年頃には重要な場所になっていました。
信じられないほど遠い昔ですね。
人間の歴史は我々が思っているよりも遥かに長く、世界もまた思っているよりも遥かに広い。その広い世界で様々な民族がそれぞれの価値観と信仰を持ち、興亡の歴史を繰り返してきた。だが、私達の生きている16世紀は短い期間に新しい宗教が次々と生まれ、争いと殺し合いを続けている。何が正しいのかわからなくなっている時代だ。
ウガリットの歴史と文字については次回もう少し詳しく話をします。
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