71、ポエニ戦争(37)
文字数 1,122文字
この戦闘に参加した両軍の戦力は次のようなものだった。
カルタゴ、32,000重装歩兵、8,000軽装歩兵、10,000騎兵、50,000総計
ローマ、55,000重装歩兵、8-9,000軽装歩兵、6,000騎兵、70,000総計(10,000野営地残留)
その作戦意図は重装歩兵による中央突破にあり、そのために各中隊(マニブルス)の間隔を狭くして戦列中央を厚くしていた。中央の指揮は前執政官(プロコンスル)のセルウィリウスが担当し、パウルスは右翼騎兵、ウァロは左翼騎兵を指揮した。
カルタゴ軍の布陣は、中央に重装歩兵、その前面に軽装歩兵、両翼に騎兵を置くのはローマ軍と同様だったが、ハンニバルは重装歩兵を弓なりに湾曲させて配置し、張り出した中央部に兵を集中させて縦深を深くした。これはハンニバルの意図が、中央で敵主力を拘束している間に両翼を突破し、敵全体を包囲することにあったためである。
猛攻が予想される中央には、ある程度の損害を前提としてガリア歩兵とヒスパニア歩兵を置き、その両翼には熟練のカルタゴ歩兵を置いた。さらに歩兵戦列の右翼にはヌミディア騎兵を、左翼にはヒスパニア・ガリア騎兵を配置した。
カルタゴ軍はローマ軍に比べて全軍に占める騎兵の割合が多く、その質も量もローマ軍の騎兵に比べて高かった。ハンニバルはヌミディア騎兵をハンノ・ボミルカル(ハンニバルの甥)に指揮させ、ヒスパニア・ガリア騎兵はハスドルバルに指揮させた。