47、ポエニ戦争(22)

文字数 1,405文字

トラシメヌス湖畔の戦いの後、独裁官に選ばれたクィントゥス・ファビウス・マクシムスの話の続きです。作品集は下の画像から入ってください。
ファビウスを調べたらこのような画像が出てきました。
58歳で独裁官に選ばれ、あばた顔と呼ばれた男の像とは思えない。
これはウィーンのシェーンブルン宮殿にある石像です。
宮殿の庭に置かれた像だから、本人に似せて作られたというよりは、優雅な雰囲気で作られたのだと思います。
独裁官に選出された後、ファビウスはローマ市民の士気を回復し、さらにローマ防衛の準備に腐心した。まずは国政に関連する宗教的行事と、民事手続きを守り、市民の士気向上のために、トラシメヌス湖畔での敗戦は戦死した執政官のフラミニウスが宗教的行事を無視したことが原因であると非難した。
前任者の悪口を言うことで、これから自分がやることは正しいことだと強調するのですね。
元老院はファビウスの示唆によりシビュラの書(元老院が管理していた神託書)を参照し、法務官(プラエトル)の一人に生贄を捧げてローマの神々をなだめる役が割り当てられた。
紀元前のこの時代、多神教であったが、困った時にはローマの神々に頼っていたのか。
ローマが勝っている時はそれほど宗教行事にこだわらないで、どんどん軍隊を進めればよかった、でも大きな敗北があれば人は神々に頼りたくなる、ファビウスは人間の心理がよくわかっていますね。
第一次ポエニ戦争にも参加していて58歳で独裁官に選ばれた、長生きしているから経験も豊富にあるのだろう。
やっぱりあの石像と実際のファビウスはかなり違うと思います。
ファビウスはハンニバルの実際の位置や(ローマを直接攻撃はしないという)意図を知らなかったため、神事を行った後に、ハンニバルのラティウム(ローマを含むイタリア中央西部地方)侵攻に対する準備を開始した。
つまりファビウスはハンニバルがローマに侵攻してくると考えて準備を進めたのですね。
市の城壁は修復され、ミヌキウスが「迎撃委員会」の準備を命じられ、2個ローマ軍団と2個同盟国軍団および随伴騎兵部隊が近隣のティブル(現在のティボリ)防衛のために編制された。
独裁官ファビウス、よく考えていますね。
ラティウム地域の城壁を持たない都市は放棄され、住民は城郭都市に移住するように命じられた。カルタゴ軍の進軍を困難にするため、主な橋は破壊された。
すごい!徹底しています。やっぱり非常事態の時は独裁官が選ばれて1人で命令を出した方が物事が早く進んでよいのかもしれません。
ハンニバルにローマ攻撃の意図が無いことが分かると、北方に派遣されていた執政官セルウィリウスの軍団にラティウムに戻るよう命令した。ファビウス自身はローマを離れ、ナルニア(現在のナルニ)の近く、あるいはオクリクラム(現在のオトリーコリ)南方でセルウィリウスから軍の指揮を引き継ぎ、さらにティブルでミヌキウスの軍団を合わせて、アッピア街道沿いにアプリア(現在のプッリャ)に進んだ。
私は実際に戦争に行ったことはないので具体的にイメージできないのですが、なんかすごいです。
セルウィリウスはオスティアで副執政官として海軍の指揮を執ることになった。ローマ陸軍の集中が完了したため、ファビウスは計画の次の段階、すなわちカルタゴ陸軍に勝利することを実行する必要があった。
ファビウスの戦略については説明が詳しくて長くなるので、ここでまた区切ります。
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