47、ポエニ戦争(22)
文字数 1,405文字
独裁官に選出された後、ファビウスはローマ市民の士気を回復し、さらにローマ防衛の準備に腐心した。まずは国政に関連する宗教的行事と、民事手続きを守り、市民の士気向上のために、トラシメヌス湖畔での敗戦は戦死した執政官のフラミニウスが宗教的行事を無視したことが原因であると非難した。
ハンニバルにローマ攻撃の意図が無いことが分かると、北方に派遣されていた執政官セルウィリウスの軍団にラティウムに戻るよう命令した。ファビウス自身はローマを離れ、ナルニア(現在のナルニ)の近く、あるいはオクリクラム(現在のオトリーコリ)南方でセルウィリウスから軍の指揮を引き継ぎ、さらにティブルでミヌキウスの軍団を合わせて、アッピア街道沿いにアプリア(現在のプッリャ)に進んだ。