127、ポエニ戦争(58)

文字数 1,104文字

ポエニ戦争の中での第一次タレントゥム攻城戦について説明しよう。
作品集は下の画像から入ってください。
これはカルタゴ占領下のタレントゥム通貨です。
第一次タレントゥム攻城戦は第二次ポエニ戦争中の紀元前213年末から紀元前212年にかけて行われた、ハンニバル隷下のカルタゴ軍による、ローマの同盟都市であるタレントゥム(現在のターラント)に対する攻城戦である。タレントゥムは無血開城し、カルタゴが占領したが、ローマ軍は隣接する要塞に立て篭もり、戦闘を継続した。
ポエニ戦争は本当にいろいろな場所で戦闘が行われていますね。
ターラントにはアラゴン城という名前のお城があります。15世紀末にアラゴン家のフェルディナンドが作ったと書いてあったので、バルセロナ朝アラゴンの時代ではありませんが・・・
カンナエの戦いでのローマの敗北は、アプリアやカンパニアを含む南イタリアのローマ同盟都市に動揺を与えた。中でもカプアはイタリア半島ではローマに次ぐ第2の都市であり、特に重要であった。
イタリア半島には古代から栄えていた都市がたくさんあったのですね。
カンパニアでは続く2年間、ローマとカルタゴの戦いが繰り返された。紀元前214年夏、ハンニバルはアヴェルヌス湖付近にいたが、タレントゥムからの使者が訪れ、街をローマから解放して欲しいとの懇願を受けた。ハンニバルは時機を見てその実行を約束した。
タレントゥムの場合は使者が来て、ローマから離れカルタゴに味方したいと言ってきたわけですね。
南イタリアの古いギリシャ植民都市であるタレントゥムは裕福であるだけでなく海に面していた。当時アドリア海対岸のマケドニアのピリッポス5世はカルタゴと同盟関係を結んでいた。やはり港湾都市であるブリンディジは依然ローマとの同盟を維持していたため、タレントゥムはフィリポス5世が陸軍派遣を決意した場合、それを受け入れるに最適であった。
南イタリアではいろいろな都市がローマと同盟を結んだり、逆にローマから離れようとしていたのですね。
カルタゴ軍はネオポリス(現在のナポリ)付近を略奪し、ノラに向った。執政官(コンスル)マルクス・クラウディウス・マルケッルスはこれを聞き、スエッスラに駐屯していた法務官(プレアトル)マルコ・ポンポニオ・マトーネをこれに向かわせた。初日の戦いはローマの勝利に終わった(第三次ノラの戦い)翌日ローマ軍は戦場に再集結したが、ハンニバルは野営地に留まった。3日目の夜、ハンニバルは今回も含め3度失敗しているノラの占領を諦め、ローマ同盟都市の離反を狙ってタレントゥムへ向かった。
3度も狙ったということは、それだけノラは重要な場所だったということか。
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