159、ポエニ戦争(66)

文字数 1,495文字

第一次カプア包囲戦についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
カルタゴ軍は再度ノラを攻撃したが、3,000の兵を失ってこれも失敗し、アケラに向った。マルケッルスはノラの城門を固く閉ざし、歩哨に誰も街から出ないように見張らせた。次に敵と内通した反逆者70人を死刑にした。これらの人々の財産は没収され、元老院での許可のもとローマのものとした。その後ノラを出てスエッスラを見下ろす高台に野営した。
ノラもまた重要な都市でハンニバルは何度も攻撃し、ローマ側は必死に守ったわけですね。
ハンニバルは当初アケラを無抵抗で降伏させることを望んだ。しかし、市民のローマに対する忠誠心が強いことを知り、攻城戦を開始した。
都市によって市民の考えはかなり違うのですね。
しかし街の防御は不十分であり、多くの市民が夜中にカルタゴ軍の塹壕を超えて脱出し、まだローマとの同盟関係を維持している近隣の都市に逃げ込んだ。
アケラの市民は都市を守らないで逃げ出してしまったのか。
ハンニバルはローマの独裁官に選出されたマルクス・ユニウス・ペラがカシリヌムに新たな軍団を向かわせていることを知り、カプアでの騒乱を防ぐために、アケラを破壊し火を放った。ハンニバルはローマ軍の動きを予測して軍をカシリヌムに向けた。その時点でカシリヌムの守備兵はプラエネステ兵570名と少数のローマ兵、加えてカンナエでの敗北後に増強された460名のみであった。食糧不足の不安はあったものの、三方をヴォルトゥヌス川に囲まれたこの小さな街を守るには十分と考えられていた。
ハンニバルもまたローマ側の動きを知ったり予測したりして行動しているわけですね。
ハンニバルはカシリヌムに接近し、イサルカという指揮官の下にアフリカ兵を派遣し、降伏交渉を行わせた。交渉は失敗して戦闘が始まったが、ローマ軍は何度かカルタゴ軍の攻撃を撃退した。冬が近づくとハンニバルは野営地の防御を強化し、カシリヌムのローマ軍に攻略を諦めていないと思い込ませ、実際にはカプア近郊に軍の大部分を撤退させた。
相手の様子をさぐったり騙したり、いろいろ大変そうです。
リウィウスによると、ハンニバルは冬の間ほとんどの部隊を街に駐屯させていた。長い間戦場の厳しい環境に耐えてきたカルタゴ兵は、都市での生活に慣れていなかった。
それだけ大勢の兵が街で生活したということは、カプアの街はかなり大きくまた食料などが豊富にあったということですね。
リウィウスは軍の規律が緩んだとしてカルタゴ軍がカプアで冬を過ごしたことを批判している。一部の兵士たちは地元の女性と問題を起こした。そうでないものも、春になって作戦を開始した時に、まるで新兵のように肉体的・精神的強靭さを欠いていた。カプアに戻りたくて、軍を脱走するものも多かった。しかしこの有名な「カプアでの堕落」は、イタリアの歴史家ガエタノ・デ・サンクティスによって疑問視されている。
軍隊は街で快適な生活をすると堕落してしまうのか。
ハンニバルの兵士達が、カプア市民の温かい歓迎を楽しんで休息することができたのは事実である。伝統的にローマの歴史家、特にリウィウスは、軍の精強性を失わせたとして、いわゆる「カプアでの余暇時間」の重要性を強調する傾向にある。しかしポリュビウスはこのような記録は残しておらず、これが現代の歴史家が疑いを持つ根拠となっている。カプアでの休息後でも、ハンニバルとその軍はその優秀さを発揮し、ローマ軍に決定的な敗北を喫することなく、その後10年間イタリア半島内で戦い続けた。
私は実際に軍隊で戦ったことはないのですが、人間に休息は必要だと思います。
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