158、ポエニ戦争(65)

文字数 1,143文字

第一次カプア包囲戦についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
ハンニバル自身は軍の大部分を率いてカンパニアに向い、カプアとの間にローマとの離脱交渉を行った。カプアはローマに次ぐ第2の都市であり、この頃から100年ほど前の紀元前312年にはアッピア街道でローマと結ばれており、依然として重要性が高かった。
カプアは重要な都市だったのですね。
歴史家のティトゥス・リウィウスによると、100人以上のカルタゴ人が街に入り、カプア側の代表であるパクウィウス・カラウィウスとの交渉を行った。合意内容は以下のようなものであったと考えられている。

・カルタゴ高官もカプア市民以上の権利は有さない

・カプア市民はその意思に反して徴兵されたり訓練を受けたりすることはない。

・カプアはその法律と裁判を維持できる。

・ハンニバルはカンパニアに300人のローマ捕虜を送り、シチリア島で捕虜になったカンパニア人と交換する


紀元前の時代であっても、市民の権利について細かく話し合っていたのですね。
カンパニア人達は、ローマの知事だけでなく何人かのローマ市民を保護を名目にして逮捕し、浴場に監禁した。その後浴室の温度を異常に上げたため、これらの人々はみな死亡した。ハンニバルとの同盟に反対した少数の人々は追放され、キュレネに到着した時点でプトレマイオス朝のファラオであるプトレマイオス4世に保護され、ローマに送り返された。
カルタゴとの同盟が決まれば、今度はそれまで住んでいたローマ人を残酷な方法で殺してしまう、紀元前の時代は僕たちの時代とは違う残酷さがあります。
一方、ハンニバルはカプアに入城し、指導者や裕福な市民の歓迎を受けた。その中の1人がハンニバルを襲撃しようとしたが、直ちに捕らえられて殺された。ハンニバルは元老院議員を招集して、カルタゴとの同盟関係を結んだことに感謝し、戦闘が起こった場合はカプアを防衛することを約束した。
ローマだけでなくカプアのような都市国家も元老院議員の話し合いで重要なことが決まる政治の仕組みが整っていたのですね。
ハンニバルはカプアとの同盟を結んだ後にカンパニアでの作戦を再開した。
そうか、先にカプアのような大きな都市と同盟を結んでいれば、安心して他の都市を攻撃できるのか。
ネオポリスの攻略は失敗に終わったが、続いて無抵抗での降伏を期待して軍をノラに向けた。しかし、ハンニバルの到着前に法務官(プラエトル)マルクス・クラウディウス・マルケッルスが先に街に入っておりハンニバルを攻撃してきた(第一次ノラの戦い)。ハンニバルはノラの攻略を諦め、ヌケエリア(現在のノチェーラ・インフェリオーレ)に向い、そこを略奪して火を放った。
ローマ側もハンニバルの次の行動を予測して準備をしているわけですね。
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