70、ポエニ戦争(36)

文字数 935文字

今日からしばらくはポエニ戦争の中でも有名なカンナエの戦いについて話をしよう。
おおー!やっとカンナエの戦いになったか。
ペドロ2世はカンナエの戦いを知っているの?
有名な戦いだ。余は何度も本を読み、布陣から序盤戦、そして包囲完成までの図を覚えた。
作品集には下の画像から入ってください。
まずは前段階だが、紀元前218年、アルプス山脈を越えてイタリア本土に侵入したカルタゴの将軍ハンニバルは、トレビア川の戦い、トラシメヌス湖畔の戦いで、ローマ軍に甚大な被害を与えた。
それはもう知っている。
ローマの元老院は、急遽ファビウス・マクシムスを独裁官に任命し、戦力を再編する時間を稼ぐことにした。ファビウスは、ハンニバルとの決戦を巧妙に避け、持久作戦を展開してカルタゴ軍の消耗を待った。
そう、このファビウスの作戦に余はイライラし続けた。
ペドロ2世はせっかちすぎます。結果はわかっているのだから、落ち着いて話を聞けばいいものを・・・
結果はわかっている。だが戦争の話になると余の体は熱くなり、体中の血が激しく巡る。黙ってはいられない。
しかし、ハンニバルによってイタリア全土が略奪に曝されると、ファビウスのそうした姿勢は臆病だと指摘され、決戦を望む声が湧き起こった。
当たり前だ!ローマ人も余と同じ考えだ!
ローマの元老院は、ファビウスの任期が切れると同時に、ルキウス・アエミリウス・パウルスとガイウス・テレンティウス・ウァロの両名を執政官に任命し、積極策に転じた。
執政官と独裁官の任期はそれぞれどれくらいでしたか?
執政官は1年で、独裁官は6ヶ月である。任期が短いのは独裁を避けるためでもあろう。
両執政官は約8万人の軍団を率いてハンニバルの迎撃に向った。
8万人というのはすごい人数です。これだけの人数を率いて戦うのだから執政官も大変ですよね。私には務まりそうもありません。
パウルスはハンニバルとの正面対決を避けるべきだと主張していたが、ウァロは決戦を望んでいた。
ここまで来てまだためらっているのか。早く行け!
紀元前216年8月2日、南イタリアのアプリア地方のカンナエで付近でローマ軍とハンニバル率いるカルタゴ軍約5万人が対峙、当日の最高指揮官であるウァロが決戦を挑んだため、カンナエの戦いが生起した。
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