118、アルキメデス(6)
文字数 1,245文字
てこについて記述した古い例は、アリストテレスの流れを汲む逍遥学派やアルキタスに見られるが、アルキメデスは『平面の釣合について』において、てこの原理を説明している。4世紀のエジプトの数学者パップスは、アルキメデスの言葉「私に支点を与えよ。そうすれば地球を動かしてみせよう」を引用して伝えた。
プルタルコスは、船員が非常に重い荷物を運べるようにするためにアルキメデスがブロックと滑車機構をどのように設計したかを述べた。また、アルキメデスは第一次ポエニ戦争の際にカタパルトの出力や精度を高める工夫や、オドメーター(距離計)も発明した。オドメーターは歯車機構を持つ荷車で、決まった距離を走る毎に球を箱に落として知らせる構造を持っていた。
マルクス・トゥッリウス・キケロは問答法の著作『国家論』にて紀元前129年にあった逸話を採録している。紀元前212年にシラクサを占領した将軍マルクス・クラウディウス・マルケッルスは2台の機器をローマに持ち帰った。これは太陽と月そして5惑星の運行を模倣する天文学用機器であり、キケロはタレスやエウドクソスが設計した同様の機器にも触れている。
問答では、マルケッルスは独自のルートを経由しシラクサから持ち帰って1台を手元に留め、もう1台はローマの美徳の神殿(ヴィルトゥールスの神殿)に寄贈した。キケロはマルケッルスの機器についてガイウス・スルピキウス・ガッルスがルキウス・フリウス・ピルスに説明する下りを残している。
「ガルスが球を動かすと、天空に見立てた青銅製の装置上で何度も回転が起こり、月が太陽を追った。そして月と太陽が一直線に並ぶところでは月の影が地球に落ち、日食が再現された」
これはまさにプラネタリウムか太陽系儀の説明である。アレクサンドリアのパップスは、現代では失われたアルキメデスの原稿『On Sphere Making』でこれらの機器の設計について触れていると述べた。近年、アンティキティラ島の機械やギリシア・ローマの古典時代に同じ目的で制作された機械類の研究が行われている。これらは、以前はオーパーツ視されていたが、1902年に発見されたアンティキティラ島の機械を通じて、古代ギリシア時代には機構の重要部分に当たる差動装置の技術は充分に実用可能な域に達していたと確認された。