40、ポエニ戦争(17)

文字数 1,296文字

今日はエブロ川河口の海戦について説明しよう。
作品集は下の画像から入ってください。
エブロ川についてはここにいる者は皆知っているだろう。
はい、サラゴサを流れる大きな川です。でも海戦というからにはサラゴサ近郊ではなくて海での戦いですよね。
そう、エブロ川河口の海戦は陸地ではなく海で行われた。
海での戦いというのは陸地とは全く違うから余にもよくわからない。
イベリア半島での戦いと言えば、前にタラッコ(現在のタラゴナ)近郊で行われたキッサの戦いがありました。紀元前218年の秋でこの時の指揮官はカルタゴがハンノ、ローマがグナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウスで戦力はカルタゴが歩兵10,000と騎兵1,000、ローマが歩兵20,000と騎兵2,200です。
キッサの戦いでカルタゴの兵力はローマの半分と不利で、またハスドルバルの到着は間に合わず、結果はローマの圧勝だった。
カルタゴはハンニバルが指揮官のイタリアでの戦いは強いけど、イベリア半島での戦いはあまり強くないようです。
エブロ川河口の海戦は紀元前217年春、ヒミルコ率いるカルタゴ海軍の40隻の五段櫂船と、グナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウス率いるローマ海軍の55隻が激突した。
グナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウスはプブリウス・コルネリウス・スキピオの兄でキッサの戦いの時の指揮官ですよね。
地上戦で指揮官として活躍しただけでなく、海戦も得意とはなかなかである。
五段櫂船というのはこんな感じです。
歩兵は重い槍や盾を持って歩かなければならないから大変だけど、海軍もまた一生懸命船を漕がなければならないから大変ですよね。それで乗っていた船に穴をあけられて沈没でもしたら海の底に沈むわけですからいやですね。私はやりたくないです。
何を情けないことを言っている。海戦もまたかっこいいではないか。
五段櫂船などは1隻の船に何人ぐらいが乗っていたのですか?
五段櫂船というのは古代のガレー船の一種で、カルタゴ海軍とローマ海軍で広く使われた。実際に櫂が五段になっているわけではなく、3本の櫂を5人(上段2人、中断2人、下段1人)で漕ぐ形になる。
なんか大変そうで余にはできそうもない。
エクノモス岬の海戦に参加したローマ海軍の五段櫂船の乗組員数は合計420名であり、内300名が漕ぎ手で残りが乗員および戦闘員であった。
エクノモス岬の戦いは紀元前256年にシチリアのエクノモス岬周辺にて、共和政ローマとカルタゴとの間で行われた、第一次ポエニ戦争での海戦です。指揮官はローマがルキウス・マンリウス・ウルソ・ロングスとマルクス・アテリウス・レグルスでカルタゴはハミルカルと大ハンノでした。戦力はローマが330隻(140,000人以上)カルタゴが350隻(150,000人以上)でした。結果はローマ軍の圧勝でした。
エブロ川河口の海戦はカルタゴが40隻(16,800人)、ローマが55隻(23,100人)で、エクノモス岬の戦いの時に比べればかなり少ないです。
どちらも主力ではないのだから仕方ないだろう。
次回エブロ川河口の海戦がどのように行われたか詳しく説明しよう。
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