122、ポエニ戦争(57)

文字数 1,254文字

シュラクサイ包囲戦についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
これはアルキメデスの死という絵で、エドウアルド・ヴィモン画、1920年代とありました。
外郭部はローマ軍の手に落ちたが、内郭は依然として堅牢であった。アルキメデスが殺害されたとされるのは、このときである。
あれだけいろいろな発明をしてわけのわからない数学の計算をした者でもあっけなく殺されてしまうのか。
マルケッルスは、高名な数学者であり、防衛兵器の発明家であったアルキメデスを殺さないように命令していた。アルキメデスはこのとき既に78歳前後であったが、ローマ軍が侵入してきた後でも研究を続けていた。ローマ兵が家にやってきて彼の研究を邪魔すると、アルキメデスはこれに対して強く抗議をし退去を求めた。この兵士は、それが誰だかを知らず、その場でアルキメデスを殺害した(あるいはローマ軍を苦しめた兵器の発明家と知っていたのかもしれない)
アルキメデスの言っていることは正しいです。家に勝手に侵入してきて邪魔されたら誰だって怒ります。でもそういうことが通用しない相手でした。
ローマは外郭を支配下においたものの、シュラクサイ市民は内郭に退避して抵抗を続けた。しかし内郭の面積は小さく、ローマは外部からの補給を完全に遮断することができた。8ヶ月を経過した頃、場内では飢餓の苦しみが始まり、ローマとの講和が議論されるようになった。モエリスカスという名の指導者の一人がローマと内通し、アレトゥーサの泉近くにローマ軍を招き入れ、陽動攻撃を行っている間に城門を開けた。親ローマ地区に衛兵を置き、マルケッルスはシュラクサイの略奪を許した。長期の攻城戦に苦戦していたローマ兵は市内を暴れまわり、多くのシュラクサイ市民を殺害し、また生き残った市民の殆どを奴隷とした。シュラクサイは完全に略奪され、破壊された。
どうして略奪を許してしまうのですか!それを許したら虐殺になってしまいます。この時代はまだキリストが生まれてない紀元前だからそんなことになるのですか?
いや、紀元後の時代、キリスト教の信仰が広まっても略奪は起きた。十字軍もまたキリストの名を使った侵略であり略奪だった。
シュラクサイは再びローマの手に戻り、シチリア島全体がローマの属州となった。シュラクサイを確保したことにより、カルタゴはシチリアでの足場を失い、そこからイタリアにいるハンニバルを支援することが不可能となった。このため、ローマはイタリアとイベリアにその戦力を集中することができるようになった。10年後には、シチリアを補給基地としてアフリカへの侵攻作戦が実施されることになる。また、後のギリシャへの侵攻拠点としても重要な位置を占めた。シュラクサイは再建され、5世紀にいたるまでローマにとって軍事面でも経済面でも重要な都市として存在した。
シュラクサイは海上交通の要となる場所にあるから、破壊されてもすぐにまた再建されました。でも、重要な場所だからこそ、そこは争いが絶えず、略奪と虐殺が繰り返されています。
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