97、ポエニ戦争(49)
文字数 1,055文字
カルヌスの戦いについて簡単に説明すれば、サルディニアで起きた反乱にカルタゴが手を貸した戦いだ。ハンニバルや彼の弟は参加してないから、カルタゴが勝つとは思えない。さらに嵐でカルタゴの到着は大幅に遅れ、サルディニアのナントカの息子のナントカがローマの挑発にのって軽率な戦いをして5,700ものサルディニア兵が戦死した。
え、ヴェンツェルもそのタイプですか?私はアラゴン王の中ではペドロ2世が1番挑発されて動いてしまうと思っています。ラミロ2世の『ウエスカの鐘』は怒りを爆発させたように見えるけどそうではない、冷静にきっちり計算しての行動です。
さあさあ、前置きはそれぐらいにして、カルヌスの戦いについて話そう。両軍は直ちに戦闘には入らなかった。両軍ともに野営地を設営し、数日間の小競り合いがあった。双方共に優位性を得られなかったため、両軍の司令官は決戦を選択した。
しかし、ローマ軍の分遺隊がカルタゴ軍側面のサルディニア兵を戦場から駆逐することに成功したことが勝敗を決定した。サルディニア兵を撃破したローマ軍は中央に旋回して、カルタゴ軍の側面を攻撃したため、カルタゴ軍は総崩れとなった。カルタゴ軍のハスドルバル、マゴ、ハンノは捕虜となり、ヒオスタスは戦死した。