96、ポエニ戦争(48)
文字数 1,029文字
カルタゴ遠征軍がサルディニアに出帆する前に、戦略的状況に変化があった。イタリアにいたハンノがルカニアでティベリウス・センプロニウス・ロングスに敗れ、イベリアにおいてもハスドルバス・バルカがデルトサの戦いに敗れて野戦兵力をほとんど失ってしまったのである。
カルタゴ元老院はマゴにイベリアに行くように命じたが、サルディニア遠征軍は計画通り出帆した。しかし、嵐のために艦隊はバレアレス諸島に流されてしまい、損傷した多数の艦艇を浜に引き上げて修理することが必要になった。このためにカルタゴ軍のサルディニア到着は遅れた。
ハンプシコラはサルディニア西岸のカルヌス近くで反乱軍を編成し資材を調達するのに忙しかった。カルタゴ軍の到着が遅れたため、ローマは法務官ティトゥス・マンリウス・トルクァトゥスを指揮官とする、新たな軍を派遣することができた。サルディニアにおけるローマ軍の兵力は、歩兵20,000、騎兵1,200となった。
ハンプシコラが兵の募集で離れていたとき、マンリウスはハンプシコラの息子であるヒオスタスを挑発し、ローマに軽率な攻撃をかけさせた。この戦いで5,700のサルディニア兵が戦死し、反乱軍はバラバラになった。