96、ポエニ戦争(48)

文字数 1,029文字

カルヌスの戦いについての続きです。作品集には下の画像から入ってください。
カルヌスの戦いは紀元前215年に、サルディニア人の反乱を支援するために、カルタゴ軍がサルディニア島に遠征し、ローマ軍と戦った戦闘である。
ハンニバルや彼の弟たちが参加していない戦いとなると、カルタゴ軍が勝つ可能性は低いと思われる。
カルタゴ遠征軍がサルディニアに出帆する前に、戦略的状況に変化があった。イタリアにいたハンノがルカニアでティベリウス・センプロニウス・ロングスに敗れ、イベリアにおいてもハスドルバス・バルカがデルトサの戦いに敗れて野戦兵力をほとんど失ってしまったのである。
カルタゴ軍はハンニバルがいないところでは負けてばかりいるではないか。
カルタゴ元老院はマゴにイベリアに行くように命じたが、サルディニア遠征軍は計画通り出帆した。しかし、嵐のために艦隊はバレアレス諸島に流されてしまい、損傷した多数の艦艇を浜に引き上げて修理することが必要になった。このためにカルタゴ軍のサルディニア到着は遅れた。
バレアレス諸島はサルディニアよりもむしろイベリア半島に近いです。カルタゴ軍は最初から大変な目に合っていますね。
ハンプシコラはサルディニア西岸のカルヌス近くで反乱軍を編成し資材を調達するのに忙しかった。カルタゴ軍の到着が遅れたため、ローマは法務官ティトゥス・マンリウス・トルクァトゥスを指揮官とする、新たな軍を派遣することができた。サルディニアにおけるローマ軍の兵力は、歩兵20,000、騎兵1,200となった。
カルタゴ軍の到着が遅れたからローマ軍にチャンスを与えてしまったではないか。まったく何をやっている・・・あれ、ペドロ2世は何も言わないのか。
ペドロ2世にはもうこのカルヌスの戦いの勝敗が見えているようです。
ハンプシコラが兵の募集で離れていたとき、マンリウスはハンプシコラの息子であるヒオスタスを挑発し、ローマに軽率な攻撃をかけさせた。この戦いで5,700のサルディニア兵が戦死し、反乱軍はバラバラになった。
全く何馬鹿なことやっている。挑発に乗ったらダメに決まっている。あー、イライラする。
人の戦いを後の人間が見れば何馬鹿な事やっていると思うのですが、渦中にいる人間は自分の過ちには気づかないものです。気付いた時にはもう遅い・・・
紀元前215年秋にハスドルバルがカルカヌス近くに上陸し、残存サルディニア兵を合わせてカラニスに向って進んだ。これに反応して、マンリウスも軍を進めた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色