114、アルキメデス(2)

文字数 1,162文字

アルキメデスについての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
これはベルリンのアルヒェンホルト天文台にあるアルキメデスのブロンズ像です。ゲルハルト・ゲルダ作、1972年公開です。
アルキメデスは紀元前212年、第二次ポエニ戦争でローマのマルクス・クラウディウス・マルッケルス将軍がシラクサを占領した時に死んだ。
アルキメデスは生涯についてはほとんど何もわからず、亡くなった時の状況だけが記録にはっきり残っているのですね。
アルキメデスの評判を知っていたマルケッルスは、彼には危害を加えないよう命令を出した。アルキメデスの家にローマ兵が入ってきた時、アルキメデスは砂盤に描いた図形の上にかがみこんで、何か考えこんでいた。アルキメデスの家とは知らないローマ兵が名前を聞いたが、没頭していたアルキメデスが無視したので、兵士は腹を立てて彼を殺したという。
ニコラさんもこのタイプですね。書物に没頭していると寝食を忘れ、僕が呼びかけても返事もしてくれませんでした。
アルキメデス最後の言葉は「私の円をこわすな!」だったともいう。マルケッルス将軍は命令に反して、アルキメデスが殺害されたことに苦しんだと伝わる。
天才と呼ばれる人は集中力が違いますね。
アルキメデスの墓は彼自身が好んだ数学的証明を題材に選ばれ、同じ径と高さを持つ球と円筒のデザインがなされたと伝わっていた。彼が亡くなってから137年後の紀元前75年、ローマの雄弁家マルクス・トゥリッウス・キケロがクァエストルとしてシチリアに勤めていた頃、アルキメデスの墓について聞いた。場所は伝わっていなかったが、彼は探した末にシラクサのAgrigentine門の近く、低木が繁る省みられない場所に墓を見つけ出した。キケロが墓を清掃させたところ、彫刻がはっきり分かるようになり、詩を含む碑文も見出せるようになった。
こういう形です。
余は数学は苦手だし、こんなわけのわからない形の墓碑を作ってもらうよりも、狩りをしている姿の像を作って欲しい。
私もよくわからない形ではなく、狩りをしている姿の像か彫刻がいいです。狩人王フアン1世という名前と一緒に刻んでもらえたら幸せですね。
余はやはり戦いの様子を大きな絵か彫刻にして残して欲しい。
この中で数学が得意な方はいますか?実は私は数学は苦手でアルキメデスの球と円柱についてよくわからないのですが・・・
余は修道院育ちで一通りの学問は学んだが、数学や物理は苦手である。
余は戦いには強いが、学問は全体的に苦手である。
余の父上カール4世は幅広い教養を身に付けていたが、余は怠慢王だから学問は苦手である。
私は芸術や文芸の保護をしていましたが、数学は得意でなくてアラゴン王国の財政を傾けてしまいました。
ちょうどよい機会だ。アルキメデスの球と円筒について学んでみればいい。
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