24、ポエニ戦争(9)

文字数 1,391文字

ハンニバルのアルプス越えの背景について順に説明しよう。
作品集には下の画像から入ってください。
紀元前219年、カルタゴの将軍ハンニバルのサグントゥム攻撃をきっかけに第2次ポエニ戦争が勃発した。紀元前218年5月、ハンニバルはイタリア本土へ侵攻するために北上を開始した。ローマの元老院は執政官プブリウス・コルネリウス・スキピオに2個軍団を与え、ハンニバルの前進を阻止するために海路でマッシリア(現マルセイユ)へ派遣した。
スキピオという名前は世界史で何度も聞きましたが、同じような名前が多くて混乱しました。
このプブリウス・コルネリウス・スキピオを中心に父はルキウス・コルネリウス・スキピオ、兄はグナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウス、息子がスキピオ・アフリカヌス、スキピオ・アシアティクスがいる。
この中で1番有名なのがスキピオ・アフリカヌスです。
スキピオ・アフリカヌスが活躍するのはもっと後になってからである。
プブリウス・コルネリウス・スキピオは兄のグナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウスに軍隊の指揮を委ねて自身はイタリアに戻った。
ローヌ川での戦いを経て9月、ハンニバルは約40,000名の兵士と30頭の戦象を率いてアルプス越えに挑んだ。
象を連れてアルプスを越えるのはかなり大変だと思います。船でイタリアへ向かった方が安全だと思います。
余の父上サンチョ・ラミレスはローマに巡礼の旅に行ったが、その時は船を使ったと思われる。だが余は象とかいう巨大生物と一緒に船には乗りたくない。そんな重いものと一緒に乗ったら船が沈みそうだ。
私はアルプスを越えるよりも船で行った方がいいです。
9月のアルプスはすでに冬季といってよく、ケルト人部族との戦いもあり、大群での越山は困難を極めた。イタリアに到着した際のカルタゴ軍の兵力は26,000名(歩兵20,000名、騎兵6,000名)戦象はわずか3頭となっていた。
かなり大きな犠牲が出ていますよね。それでもハンニバルに兵士はついて行った。その理由はなんだったのでしょう?
ハンニバル自身の強さやカリスマ性があったのはもちろんだが、それだけでは人間は動かない。敵はローマでありローマを倒せば莫大な財宝が手に入るということも大きな理由だったのであろう。そして当時そこに住んでいたガリア人は完全にローマに従っていたわけではない。ハンニバルに味方をする勢力もあって巧みに利用したのであろう。
でも象は3頭にまで減ってしまってあんまり役には立ってないですね。
そんなことはない。象を連れた軍隊が来たというだけで、象など見たこともない人間には大きな驚きとなったであろう。恐怖を与えたと言ってもいい。恐怖を与えれば戦わずに味方を増やすことができる。
余は王になったばかりの頃、政治に疎く戦いに行けない王を貴族達は馬鹿にして各地で反乱が起きた。まともに戦って勝ち目がないと判断した余は昔の師匠のアドバイスを受け、『ウエスカの鐘』と呼ばれる粛正を行った。それ以後貴族達は余を怖れ、反乱はなくなった。
ローマを倒せば想像できないほどの財宝が手に入り、そしてハンニバルが神のように怖れられていれば、困難なアルプス越えであっても人間は前に進むのですね。引き返して死ぬよりも先に進んでチャンスをつかみたいと考えてしまう。
そして実際にハンニバルは困難なアルプス越えを成功させてしまった。
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