132、ポエニ戦争(63)

文字数 1,333文字

第一次タレントゥム攻城戦についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
ハンニバルはローマ軍の攻撃に備え、アゴラとアクロポリスのローマ要塞の間に新たな城壁を作ることを決定した。まず要塞の城壁に並行して壁を築き、続いてその手前に濠が掘られた。
土木工事を行うなんてハンニバルらしくない。
この工事が開始されると、ローマ軍は大胆にもカルタゴ軍を攻撃することを決意した。戦闘は2つの壁の間の極めて狭い場所で行われたため、激烈なものとなった。
ローマ軍はこんなところに壁を作られては大変と焦ったのでしょう。
最終的には、ローマ軍は要塞に撤退することとなった。戦闘で死んだ兵も多かったが、ほとんどはカルタゴ軍に追い詰められて濠に落下して死亡した。
ローマ軍は悲惨な状況になっていますね。
その後工事が行われている間、ローマ軍の攻撃はなく、柵や深い堀が完成した。この新しい城壁のため、タレントゥム市民はカルタゴ軍の支援が無くとも、ローマ軍守備部隊に対抗できるようになった。
ハンニバルらしくない土木工事もこのように役に立つのか。
タレントゥム防衛のために適当な数の守備部隊と騎兵を残し、ハンニバルは残りの兵を率いてガレソ川方面に移動し、街から7.5キロメートル程離れた場所に野営した。
え、どうして街から離れた場所に行ってしまうのですか?
タレントゥム市民の協力により工事が早期に完成したため、ローマ軍が守備するアクロポリスの攻略は可能であると考えた。ローマ軍に近郊のマテポントから海路援軍が到着したことを知ったとき、ハンニバルは実質的に攻城戦の準備を完了していた。この時点で最も重要なのは、制海権の確保であり、これはタレントゥム市民に委ねられた。アクロポリスのローマ軍が制海権を握り、近郊の都市との連絡が可能であったため、内港に閉じこめられたタレントゥムの船は使えなかった。他方ローマは危険を犯すこと無く、海上から補給を受けることができた。
タレントゥムは内海のある複雑な地形なので制海権が重要になってくるのですね。
ここでハンニバルは新しい計画を立案した。内港に停泊しているタレントゥム船を巨大な荷車に載せ、陸上を移動させて外海に運び制海権を得るというものである。これによって、アクロポリスへの補給を海陸ともに絶つことが可能となった。ハンニバルは守備兵のみを残し、3日の距離にある野営地へと引き揚げた。
ハンニバルは本当によくいろいろなことを思いつきますね。
ハンニバルはタレントゥムの奪取には成功したが、その要塞は占領できなかった。同年(紀元前212年)、レガトゥスのガイウス・セルウィリウス・ゲミヌスが元老院の承認を得て、エトルリアにいた法務官のプブリウス・コルネリウス・スッラによって派遣され、多量の穀物も運び込まれた。ゲミヌス敵艦の妨害を排除してローマ支配下のタレントゥム港に入港できた。
要塞を維持するには食糧の補給が欠かせないわけですね。
しかし、ローマの同盟都市であったメタポントゥムは放棄され、カルタゴ側についた。続いてスリウムもカルタゴに下った。
ハンニバルは要塞は占領できなかったけど、タレントゥムを味方にしたことで、他に2つの都市をカルタゴ側につけるという効果があったのですね。
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