132、ポエニ戦争(63)
文字数 1,333文字
タレントゥム市民の協力により工事が早期に完成したため、ローマ軍が守備するアクロポリスの攻略は可能であると考えた。ローマ軍に近郊のマテポントから海路援軍が到着したことを知ったとき、ハンニバルは実質的に攻城戦の準備を完了していた。この時点で最も重要なのは、制海権の確保であり、これはタレントゥム市民に委ねられた。アクロポリスのローマ軍が制海権を握り、近郊の都市との連絡が可能であったため、内港に閉じこめられたタレントゥムの船は使えなかった。他方ローマは危険を犯すこと無く、海上から補給を受けることができた。
ここでハンニバルは新しい計画を立案した。内港に停泊しているタレントゥム船を巨大な荷車に載せ、陸上を移動させて外海に運び制海権を得るというものである。これによって、アクロポリスへの補給を海陸ともに絶つことが可能となった。ハンニバルは守備兵のみを残し、3日の距離にある野営地へと引き揚げた。
ハンニバルはタレントゥムの奪取には成功したが、その要塞は占領できなかった。同年(紀元前212年)、レガトゥスのガイウス・セルウィリウス・ゲミヌスが元老院の承認を得て、エトルリアにいた法務官のプブリウス・コルネリウス・スッラによって派遣され、多量の穀物も運び込まれた。ゲミヌス敵艦の妨害を排除してローマ支配下のタレントゥム港に入港できた。