二十七の二 人燃し頃

文字数 3,420文字

(黄昏時だ。夜がそこまで迫っている。土曜の夜だ。校内の人の気配もほとんどなくなる)


ゴクゴク、バシャバシャ、ゴクゴク
 同じ校舎の裏側にある業務用の蛇口に口をつけ、思玲はむさぼるように水を飲む。地面にひろがる水たまりに膝をついたまま、顔を洗い、もう一度水を飲む。
なにがあったか聞きたくないけど、思玲は傷だらけだな
…ウン
松本……、一日が終わっちまったぞ。俺達はどうすればいいんだ?
(俺は黙るだけだ。……打開策が欲しい。思いつかない)
案ずるな。過去の事例のいくつかは、これから始まりだった
 彼女が口もとをぬぐう。
 
 黒い影が飛んできて、誰もが身がまえる。
瑞希ちゃんが戻ってきたぜ。ダッシュで図書館の事務室に入っていった
 見まわりを買ってでたドーンが飛んだまま言う。

思玲のことが心配なのかな……。横根ならあり得る

トオイメ…


読み聞かせの締め切りが昨日だったよな。まだ間にあうか、お願いしに来たかもな

それもありだ
チッ

なにも覚えていないのだから仕方ないが、できればすみやかに去ってほしかった

(でも俺の頭に可能性が浮かぶ)

横根の珊瑚で、護符を浄化できますか?

ジロ
(思玲が俺をにらみ上げた。……まくしたてられるぞ)
その珊瑚は私のものだから返せ。日本語でなんという?

いいか、あの受け継がれし玉は所有者しか扱えぬ。

だが呪文を知らぬ瑞希に海神の玉は扱えぬ。

それでいて、一度は死んだ瑞希が珊瑚を手放せば、どうなるかなど分からぬ。

さらに言えば、私には祈りの資質がない。さんざん見てきただろ

(可能性がまたたく間に消える)
人に戻った瑞希ちゃんを、またこっちに引きずりこむのかよ。俺は納得できないね
(まったくもって、こいつの言うとおりだけど……)

ウー……

 ふいに狼が鼻さきをもたげる。うなり声をもらす。
……どうせ時間の問題だったな。珊瑚を持たぬ私も異形を引き寄せる存在だった
(思玲が中庭の奥を見る。ついで俺も気配を感じる。
 思玲は傷つき疲れ果てている。でも川田とドーンはそばにいてくれる。桜井がここにいないのが救いだと思いこむ。

……隠しきれない気配が近づいてくる。横根の後ろ姿を見送ったのは、ついさきほどだというのに)

スタッ
 思玲は蛇口に手をつき、またも毅然と立ちあがる。
 終わりを告げる夕焼けが東の空まで茜色を伸ばし、空一面から俺達を染める。
思玲の香り、怯えるとなおさら素敵よ。……西洋の糞どもと契約してまで生き延びるとはね
 朱色に照らされたあいつが笑う。
私じゃない。こいつだ!
(俺を指さしやがる)
あなたも生きているのなら、同じでしょ

…スゴイ、ユウヤケ

あの小鳥は誰も追っていないのに、どこまで逃げるつもりかしら。――海藍宝は怯えずによく見な。剣がどこにあるって?

パチ

……。
 峻計が指を鳴らす。沈む間際の西日を浴びながら、異形の一団が現れた。
 巨大な二匹の鬼と浮かぶ小鬼。その前には、赤いチャイナドレスの女。
スラングで、エモいって奴だろ
 人の言葉を混ぜながら、小鬼が空を撮影する。
(四対四。だけど絶望的に力の差がある。俺達でまともに戦えるのは川田だけか。おそらく鬼にもかなわない。なのに)
お前が峻計か!
 狼が駆けだす。先頭の峻計へと飛びかかり、
バゴーン!!!
(はじかれるように地面に転がる。……痙攣して動かない)
 
カッ
何度も喰らいやがって学習能力無しか? この電波はしびれるんだ
 小鬼がスマホを操作しながら言う。
おっと、朱雀くずれもか?
カッ
 小鬼が空へとスマホを向ける。川田のもとへ飛ぼうとしたドーンが、旋回して上空へ逃れる。
行くな
 俺は思玲に抱き寄せられる。
峻計さん、扇をおろしてください。面白いことを思いつきましたから
この狼も人間ですよね。だったら傀儡の術が使えるかな
 黒羽扇を川田に向けていた峻計が、邪な笑みをこぼす。
さすがは老祖師のお気に入りだ
(峻計が横たわる狼の頭に手を置く……。なにを企んでいるのか、気づいてしまう。頼むからやめてくれ)
素敵な名前ね。……ふふ、逆らわないでよ
 
 あいつは川田の頭をさすりながら俺達を見ている。
人の心を持つ異形は、心を残して傀儡になるのね。なおさら面白い。


これは私の式神よ。手負いの獣

パチ

 峻計が指を鳴らす。川田が目を覚まし四肢をあげる。
お、おのれ……。そいつは傷を負っただけの四神くずれだ。そもそもが人だ! 川田を開放しろ

手負いの獣……

タッチ、タッチ、タッチ…

式神ランクは……。すげえ、星4.5

(何段階評価だろう、なんて思っていられない)
ウー
(川田が俺へとうなりだした)
人だから傀儡になれるのよ。リクト、お座り
ストン
 峻計の指図に、川田が伏せるように座る。俺達へといつでも飛びかかれる姿勢だ。あいつは狼の頭をさらになでる。
ふふふ……
うー
川田…聞こえているだろ? こっちへ来いよ
馬鹿哲人、声をかけるな! あいつの言ったことが真実ならば、心の中でなおさら苦しむだけだ

キッ

扇さえあれば、あの術は解ける

(峻計は川田の頭をさすりながら、ほくそ笑んでいる。おそらく心を読んでいる)
 峻計が狼の頭から手を離す。
黄玉、手柄だよ。

たしかに人に戻った。褒美に人間を殺すのを許可してやる

ポカン
イライラ

さっきの娘を殺せと言ったんだよ

……。

……。

……おっしゃ! 血も骨も残さねえぜ

ドタドタ

(鬼がどたどたと走りだす。さっきの娘とは……)
峻計さん、もとの白虎くずれを食べる気でいますよ。人の世界がパニックになって、四神の儀式をやりなおすどころじゃなくなる
 小鬼が後ろにずれたフードをかぶりなおす。
 
……。
あらたな白虎くずれを仕立てるには、箱を取り返さないとならないし……。まったく北七だらけだ
 小鬼がさらに浮かびあがる。もとの白虎くずれとは……
ドーン。横根を守れ!

(リセットしたがっているのは、あいつらじゃないか)

よっしゃ
 カラスが血赤色の空を飛ぶ。鬼を追いかける。
ふっ
ビュン!
 峻計が空へと扇をかざす。黒い光は間一髪ドーンに当たらない。
俺も行く!
 俺は思玲の腕のなかでもがく。こづかれて反転させられる。
まだだ!
……。
 唾が飛ぶ距離で怒鳴られる。
瑞希を見捨てない。まだ案ずるな!
……。
黄玉、つき落とすとか知恵を使って、きれいに殺してね。……こみいっているときに邪魔ね
ビュン、ビュン!
うっ
ひっ
 黒い光が飛び、歩いてきた男性二人が声もなく倒れこむ。
 
 
(霊が浮かびだした……)
 
若い男が二人、心臓発作で並んで急死。きれいじゃないけど、この暑さならありえるでしょ
うわあ、あの鴉に当てられなかった腹いせですか
グヒヒ、グヒヒ
…………。
 小鬼がわざとらしく叫ぶ。残った鬼は大笑いしている。俺は生身の人間の死を目のあたりにして、恐怖で震えるだけだ。
ま、またも人を殺めたな……
(思玲は怒りで震えるだけだ。彼女の爪が俺の腕に食いこむ)
浅知恵をひけらかす小鬼め。なにがあったと言うのだ?
 思玲が琥珀をにらみながら、震える手で俺の手を握る。なにかを手渡される。
 
(……草鈴)
穴熊の分際で名前を呼ぶな。

黄玉が雌の異形の匂いを追って、白猫を見つけたんだよ。でも人間になってがっかりしたんだろ。かってに人を食うのは厳禁だからな

……。
僕はガセだと思っちゃったよ。だって、こいつら北七だろ?

……峻計さん。思玲も飛ばしていいですか?

まだだ! だが、やってみるがいい!
 思玲が決然とした声をあげる。彼女の噛みしめた唇から血が流れていた――
うお!
(後方に転がる)
今のがレベル2

ポチポチ

……。
これがレベル4
どひゃー!
(小鬼の手もとから波動が渦となり飛びだす。思玲が消える。……離れた木が揺れた。根もとに思玲が転がる)
いよいよレベル6
やめろ! ガキ鬼
ビクッ
(俺の叫びに小鬼がビクッとする。操作していた指がとまる。ぼろぼろの思玲によくも……)
……この野郎
 小鬼も俺をにらみ返しやがる。
どっちもよせ!
 舞台と観客席ぐらい(B席ぐらい)も離れた思玲が、よろよろと立ちあがる。
哲人聞け!

私は川田とは戦いたくない! ゆえにまたも逃げる!

お前は横根を守れ! 桜井を呼べ! 伝えたいことを鈴の音に乗せろ!

夜はお前達の時間だ! そこで青龍の資質が片鱗を見せれば、ともにまだ生きられる!


……羽根の失せた大鴉よ! 私を追え!

……。
……。
……。
タッタッタ…
………………。

 一方的に怒鳴り終えると、彼女は踵を返して走りだす。校舎の裏側へと、俺を置いて……。





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