二十七の二 人燃し頃
文字数 3,420文字
同じ校舎の裏側にある業務用の蛇口に口をつけ、思玲はむさぼるように水を飲む。地面にひろがる水たまりに膝をついたまま、顔を洗い、もう一度水を飲む。
彼女が口もとをぬぐう。
黒い影が飛んできて、誰もが身がまえる。
見まわりを買ってでたドーンが飛んだまま言う。
その珊瑚は私のものだから返せ。日本語でなんという?
いいか、あの受け継がれし玉は所有者しか扱えぬ。
だが呪文を知らぬ瑞希に海神の玉は扱えぬ。
それでいて、一度は死んだ瑞希が珊瑚を手放せば、どうなるかなど分からぬ。
さらに言えば、私には祈りの資質がない。さんざん見てきただろ
ふいに狼が鼻さきをもたげる。うなり声をもらす。
(思玲が中庭の奥を見る。ついで俺も気配を感じる。
思玲は傷つき疲れ果てている。でも川田とドーンはそばにいてくれる。桜井がここにいないのが救いだと思いこむ。
思玲は傷つき疲れ果てている。でも川田とドーンはそばにいてくれる。桜井がここにいないのが救いだと思いこむ。
……隠しきれない気配が近づいてくる。横根の後ろ姿を見送ったのは、ついさきほどだというのに)
思玲は蛇口に手をつき、またも毅然と立ちあがる。
終わりを告げる夕焼けが東の空まで茜色を伸ばし、空一面から俺達を染める。
朱色に照らされたあいつが笑う。
峻計が指を鳴らす。沈む間際の西日を浴びながら、異形の一団が現れた。
巨大な二匹の鬼と浮かぶ小鬼。その前には、赤いチャイナドレスの女。
人の言葉を混ぜながら、小鬼が空を撮影する。
狼が駆けだす。先頭の峻計へと飛びかかり、
小鬼がスマホを操作しながら言う。
小鬼が空へとスマホを向ける。川田のもとへ飛ぼうとしたドーンが、旋回して上空へ逃れる。
俺は思玲に抱き寄せられる。
黒羽扇を川田に向けていた峻計が、邪な笑みをこぼす。
あいつは川田の頭をさすりながら俺達を見ている。
峻計が指を鳴らす。川田が目を覚まし四肢をあげる。
峻計の指図に、川田が伏せるように座る。俺達へといつでも飛びかかれる姿勢だ。あいつは狼の頭をさらになでる。
峻計が狼の頭から手を離す。
小鬼が後ろにずれたフードをかぶりなおす。
小鬼がさらに浮かびあがる。もとの白虎くずれとは……
カラスが血赤色の空を飛ぶ。鬼を追いかける。
峻計が空へと扇をかざす。黒い光は間一髪ドーンに当たらない。
俺は思玲の腕のなかでもがく。こづかれて反転させられる。
唾が飛ぶ距離で怒鳴られる。
黒い光が飛び、歩いてきた男性二人が声もなく倒れこむ。
小鬼がわざとらしく叫ぶ。残った鬼は大笑いしている。俺は生身の人間の死を目のあたりにして、恐怖で震えるだけだ。
思玲が琥珀をにらみながら、震える手で俺の手を握る。なにかを手渡される。
思玲が決然とした声をあげる。彼女の噛みしめた唇から血が流れていた――
小鬼も俺をにらみ返しやがる。
舞台と観客席ぐらい(B席ぐらい)も離れた思玲が、よろよろと立ちあがる。
哲人聞け!
私は川田とは戦いたくない! ゆえにまたも逃げる!
お前は横根を守れ! 桜井を呼べ! 伝えたいことを鈴の音に乗せろ!
夜はお前達の時間だ! そこで青龍の資質が片鱗を見せれば、ともにまだ生きられる!
……羽根の失せた大鴉よ! 私を追え!
一方的に怒鳴り終えると、彼女は踵を返して走りだす。校舎の裏側へと、俺を置いて……。
次回「必要なのは迅速な決断」