(毒煙がひいたコートに、琥珀のスマホが転がっている。拾いあげると、カバーは焦げて溶けていた。
小鬼の形見として、露見して終わった作戦の残骸として、思玲に渡さないとならない。尻ポケットに差しこみ、いまだベンチで気を失う人とカラスへ目を向ける)
俺は抑えている感情のままに声をかける。横根がびくりと跳ね起きる。胸もとからカラスが地面へ転がり落ちる。
(人間が俺の気配に怯える。百鬼の時間は過ぎたというのに、俺は人がおそれる異形のままだ)
ドーン!
(ぐったりと力の抜けたカラスはやけに小さく感じる。やけに軽い……。こんな生き物にさせられたうえに、化け物の毒で苦しんでいる。
なんでドーンが、こんな目にあわされるんだよ! )
横根、珊瑚の玉だ。おめえも平気なんずら? ドーンに祈れし! 急げ!
(声が届かない。闇に怯えるだけだ。いらだつと、なおさら感情が抑えられない)
クソゥ…
和戸が死にかけて焦っている。……哲人も一緒に祈って頭を冷やせ
ヨロヨロ…
彼女がよろよろとテニスコート場に入ってくる。そのまま大の字に倒れこむ。
海の神様にお願いします。私には守りたいものがいます
(体育座りの俺に寄り添いながら、子犬はみんなを見つめている。
桜井は、祈りを捧げる横根の肩を止まり木に選んでいる。
その必死な祈りを、思玲はドーンを抱きながら目を閉じて聞いている)
もう少し力を抜け。……瑞希には祈りの資質があったな。珍しいことではないが、心をともなわぬ者が多い
サスリサスリ
私ごときが祈ると、ろくでもないことばかりだ。その祈り、じきに忘れてしまうのが残念だな
ドーンなら耐えられる。……なにがあったか教えて
(不安のかたまりとなっている子犬に声をかける)
(子犬は、思玲とドーン、そして横根を見つめながら言う)
昼間いた神社に、夜遊びしていましたって老若男女が三十人ぐらい集結していた。まさに公園へと行進を始めるところだった。それを思玲が扇で片っ端から気絶させた。
ゾンビ映画みたいだったぜ。あいつと小鬼が戻ってきたときには片がついていた
(その人達に襲われたら、俺はどうしていただろう。大カラスや巨大な異形さえいる状況で。思玲と琥珀にとことん救われた……)
(琥珀が死んだことを、思玲はまだ知らない。今も小鬼は、あいつの横で舌をだしていると思っているのだろうな)
あとは面白くもないな。笑える話は、台湾で死んだ大カラスが復活したのを小鬼が俺達にばらして、あいつが嘆いたくらいだ。
思玲が穴熊と呼ばれるわけがよく分かった。結界で扇をかまえて、峻計が通過するのをずっと待っていた。
もう誰もいないと何度も言って、ようやく解放してもらえた。
俺だけ走ってきたら、ここは毒が充満していると桜井に止められて、思玲は着くなりバタンキューだ。
(ドーンを横根に押しつけ、思玲が立ちあがる。俺へと目を向ける。マジかよ)
その
面はやめろ。
みなは疲れているゆえ二人だけで作戦を練るぞ。ついてこい
ヨロヨロ
(矛と盾の作戦だろうな。デジャブ―みたいに、思玲はよろよろと外へでていく。……伝えざるを得ない)
スタッ
(立ちあがり彼女を追う)
覚悟は常にしていた。私の大切なものは消え去ると決まっているからな
(野球場に隣接した駐輪場で点滅する蛍光灯に照らされながら、思玲は平静をよそおう)
彼女は野ざらしの自転車の鈴を鳴らそうとする。壊れていて、カタカタとベルを叩くだけだ。そのまま荷台に腰かけて、眼鏡をずらして目を指でぬぐう。
琥珀は自由に動ける身だったとはいえ、月に何度も会えなかった。それでも師傅と賄いの婆や以外で言葉を交わす唯一の相手だった
(俺は感傷になど浸れない。情にもすがれない)
琥珀がいなければ、俺達はとっくに死んでいたのですよね。だから必ず人に戻ります
一晩中蛍光灯にまとわりついていた蛾が、力つき地面に落ちる。思玲が歩きだす。
(こいつは人の質問を聞いていない)
……はい。焔曉も。おそらく流範も
師傅が殺めた数だ。
それよりも多くの人を、誰の心からも消えてしまった人を、奴らは殺している。
いずれ竹林は、お前達がいない時間と場所で私が消す
(思玲の伝えたいことは感じられる。だけど、いまだ俺達もそこにカウントされるべき人間だ。俺達と同じ人だったとしても、もはや情けなどかけられない)
矛がないのなら、もはや私は畑の肥やしにすらなれぬ。戦いの場にいる師傅の邪魔にならぬだけだ
師傅を待つだけだ。結界を厳重に張り和戸達を匿う。
師傅が来られるまで、私と哲人で守り続けるだけだ
……。
(足をかばいながら闇を行く彼女を、俺は追っていく)
(コートに戻るなり、子犬が見上げてくる。
彼女がどこにいるかなんて、気配を追えば誰でも分かる。さきほどの俺達と逆方向の一塁側にいる)
チッ
すぐにでも結界を張りたかったが……。和戸の具合はどうだ?
いきなり尻ポケットが振動して、のけぞってしまう。……琥珀のスマホだ。壊れていなかったのか。抜きだして画面を見る。
あの男も、それに心の声をとばせるらしい。でるではないぞ
なんで松本が持っているんだ?
奪いとったのか。やるな
(俺も思玲も説明はしない。やがて振動がおさまる。画面の文字も消える)
哲人、そいつを操れるか?
私はその手のものにうといが、ゲーム漬けのお前達なら波動をだせるかもしれぬ
(たしかに俺もポケモン探しにはまったことはあるけど、人のスマホをいじるのは気がひける。それでも電源ボタンを押す)
ポチ
(画面にモノクロの顔が映しだされる。昨日の昼まで鏡で向きあっていた俺の顔だ)
電子音とともに、画面から青い炎が顔をなめる。続いて、錐のように突き刺さる凍った風、中国語の罵詈罵声、3Dが実体化した中国拳法の乱れ打ち、さらには幾多の呪いの言葉が襲ってくる。護符がすべてを跳ねかえす。
駄目です。ロックがかかっています。おそらく顔認証です。俺は桜井のところに行きます
私は持たぬぞ。術を学ぶ妨げになる。尻になど差さずに大切に扱ってやれ。胸もとにでもおさめろ
(こんなおそろしいものを服の中にだと?)
前ポケットにしまいますよ
(物騒な形見は護符の横にしておこう――
桜井! タッ
(桜井の気配が異様なまでに高まった。俺はスマホをポケットに突っこみながら走りだす)
(思玲が叫んでいる。手でポケットを確認する。……スマホは落ちていない。護符も入っている。
かまわず球場をめざす)