十八の二 火焔嶽
文字数 3,143文字
(麗豪の予測通り、雅が林から姿を現す。俺へと飛びかかりたいのに、魔道士の手もとを気にしている)
(フサフサが土壁をにらみながら陸へと上がる。
堰堤を飛び降りようが情勢はなにも変わらない。誰も追跡をゆるめない。いきなりの生死を賭けた実戦)
“ドロシー……。香港の魔道士の笑みも。思玲である女の子の笑みも。
生き延びないと誰も助けられない。風はさらに強くなる。空がより暗くなる”
(こいつは狼だけを見ている。俺にもフサフサにも気を留めない)
(堰堤の下で水しぶきを浴びる土壁が、またも盛大につんのめる)
わあ!
(水の中から呼ばれて身がまえる。ひざ丈ほどの水流から、でかいナマズが顔をだした。渓流に?)
僕だよ。魚バージョンだけはなぜか大きい。そうは言っても常識の範囲内だけどね。
それより拾っておいた
(護符をくわえたナマズが、露泥無の声でもごもご言う。俺は残った手で受けとる)
(俺は雨の匂いを感じる。川を覆う林が横なぐりに揺れる。木霊は異形達に怯えてひそんでいる。隣の世界の生き物と同様に)
!
(麗豪が両手を左右にひろげる。ふたつの術の鞭が現れる。俺達には向かわない)
(うねる光を、雅は高々と跳躍して避ける。だが、もうひとつの光のうねりに捕らえられる。蒼い毛並みの狼は地面へ落ちる)
(立ちあがろうとして這いつくばる。
麗豪が眼鏡の縁をあげる)
私の術に屈すれば、お前は私に従う。
抗えば、やりなおすだけだ
森へと響く吠え声とともに、光をはじき飛ばす。岩を跳ね、堰堤の上にたたずむ。
(そこからなおも俺だけをにらむ……。この狼の動きに見惚れていた)
(地の底から響くような声。土壁は、水流を気にせず立ちあがる)
(土壁の手に槍が現れる。……槍先に赤い人の手が刺してある?)
(おぞましすぎる。ナマズが逃げろ逃げろと騒ぎだした。どこへ逃げればいいのだ。俺はフサフサに目をやる――)
人の形になってもすばしこい野郎だ。この林から探せというのかよ
(土壁が槍を振りかぶる。人の手のごとき穂先が、ぼわっと光りだす)
わあ! わあ!
(水中に転がる俺の上を炎が走る。水の中にいても熱を感じる)
カンカンカンカン
ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン
カンカンカ……ウィーン
(ローカルの二両編成電車が踏切を通過するほどの速度と時間が過ぎ、炎が立ち去る。俺は浮かびあがろうとするが水が重たい)
(片手でよろよろと立ちあがると、土壁が穂先を下に掲げていた)
うわああ!
(声にだして逃れる。かすめた左肩がひりひりしびれる。
ナマズが水から顔をだす)
(土壁とハイエナの戦いも覗いていたな。だったら早く教えてほしい。
俺はしびれがひろがる肩を水につけながら、川面をふわふわ横向きに逃げる。体は水をはじくけど毒は流れていく。タフな妖怪だけど片腕は復活しない)
(ナマズの声に水にもぐる。上空を火のかたまりが通過していく。妖怪だろうが息が苦しい)
スーハー
(流れに乗って逃げるまえに、顔をだし息継ぎする)
喋る魚も異形か。さっきから俺を転がすのはそいつだな
(川へ槍を乱雑に突き刺してくる。水の流れが紫色に変わる。ヤマメが腹をだして浮かぶ。紫色の流れは面前まで……)
(俺とナマズが同時に川から飛びだす。ナマズは岩の上で跳ねて、溶けだし闇に消える。死んでないよな、逃げただけだよな)
わあ
(蒼い影が飛びあがるのが見えた。とっさに護符をかざし盾にする。牙は避けたが、蹴り落とされる。紫色の渓流に落ちる寸前で、なんとか耐える)
(狼が岩つたいに来る……。
お前は麗豪と戦っていろよ。狼はなおも俺へと飛びかかろうとして、青白い光が闇をうねる)
(狼は巻きつく光の鞭を食いちぎる。巨岩へと跳躍し、なおも俺だけをにらむ)
(フサフサの言うとおり、森はこいつのホームだ。土壁の槍もかなりきつい。俺は上空に退避する。ちょっとでいいから冷静に考えろ)
(腕を失った俺は、ケビンと川田と合流すべきだ。腕は人に戻れば復活する。奴らに圧倒されて怖じ気ついた俺には無理だけど、ケビンならば四玉を怯えさせられるかも――。
いったん引き下がるべきだろうが、林に逃げたフサフサを置いていけない。でもフサフサならとっくにケビン達のもとへ行っているかも。……俺を置いてあり得ない)
?
(火焔の玉が飛んできた。かわしたところで、花火みたいに破裂する)
あちぃー!
(叫んでいる場合じゃないのに叫んでしまう。土壁がまた槍を振るう)
フワフワフワフワ
(こっちはさらにまずい。より上空へと逃げる)
殺すのが目的でない。手加減しろ。気兼ねして集中できない
(麗豪の声が大きくなる。
俺はひろがる闇空を見る)
(雲は重くどよむ。暗い雲のなかを雷が走る。じきに深夜のスコールだ。はやく逃げないと。でも誰も置いていけない)
(あと一日半したら、フサフサは山にひそむ忌むべき異形と化してしまう。ハイエナ達のように狩りの対象となる。しかも、いまの姿で)
あっ
(鞭がうなる音が聞こえ護符が落とされる。またうなりが聞こえ、)
うわああ
(俺自身も叩き落とされる。脳天への衝撃に意識が飛ぶ)
(川に落ちたおかげで目覚めるが、体がしびれて動かない。水は口へと入らぬが、どっちにしろ息ができない。もがくこともできない。流される……)
(頭をつかまれ川から引きずりだされる。助けられてばかりだ)
わあ
(目を開けると、雅が俺を見ていた。毛並みをかるく振るわせる。水滴が飛んでくる)
(狼が俺を見る目には怒り以外がない。こいつが俺を助けたのだろうけど、なぜにそこまで執着できる。
……雅は俺が逃げるのを待っている。あらためて狩るために)
蒼き狼。獲物を奪われたくないのか。そいつがそれほど憎いか
ならば私と決着をつけろ。急がないと、座敷わらしは土壁に食われるぞ
(張麗豪のさらに上空を稲光が裂く。眼鏡の男の無表情な顔を照らす。雨がぽつぽつと落ちてくる)
(雅が深夜の夕立の空へと跳ねる。その牙は麗豪へと届かない。魔道士は宙をかろやかに舞い、静かに岩へと着地する)
!?
べっぴん狼さん。こいつはゆっくり殺すから、ゆっくり戦いな
松本哲人は素早く逃げるだけか。ネズミみたいだな。ネズミのボスだ
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