一の三 お前を置いて帰らない
文字数 2,631文字
ドーンが立ちあがり、掲げた右足をテーブルの上に落とす(こいつの身体能力なら普通だ)。足首には色あせたミサンガが巻いてあった。三年目突入と、春休みにスーパー銭湯で自慢した奴だ。
棒読み能面の桜井がそそくさと木箱を開ける。固唾を飲む前に中身が見えた。
立ちあがってしまう。
桜井が俺を凝視する。
ドーンは苦笑いで、俺の肩を支えに足を箱へとかかげる。
尻が燃えだした!
ドーンの手をはらい、後ろポケットから財布をだす。
女の子二人の会話を聞きながら、俺は財布の中身を確認する。コンロの上のやかんみたいなのに、なぜか手で持てる……。カード差しの中が白く光っていた。そこが沸騰している。そこにはお札を突っこんである。
ドーンの憤慨も聞きながしてしまう。
俺の財布にお守りはふたつあるけど、地元の神社のものだけが白く発光していた。
その小さな木札をおそるおそるつまむ。熱いのに熱くない。実体のない熱?
川田も桜井にあきれている。でも俺には分かる。桜井は違う世界に引きずりこまれたと、このお守りが教えてくれた……。
はやく逃げだせと。
俺は逃げださず、木札をテーブルの中央に突きだす。
俺は指さきを見る。交通安全と刺繍された原色に金文字のお守りがあった。母親の自治会旅行のお土産だ。発光も熱もない。
三人は誰かがやめると言いだすのを待っている。桜井は無表情無感情のまま俺を見ている。
くそっ、
叫んでしまう。照れ隠しみたいにお守りを財布にしまう。……木札はうっすら光りながらひそんでいた。
学業運恋愛運、俺の願いなど叶うはずないただの小さな気休め……。だけど、これを手に入れた冬の日を思いだす。雪の中のかき分けられた長く急な石段……。
ただのお守りであるはずない。だから持ち歩いた。
川田が立ちあがる。ドーンの後ろを歩き、俺の肩をがしりとつかむ。川田の熱が汗ばんだTシャツごしに伝わる。
彼女の細い両肩に手を乗せる。
ドーンは機嫌を戻すきっかけを待っていた。こいつも川田が好きだから、このサークルを続けている。
つまりドーンも帰らない。
誰もが勘違いしている。これは生やさしいものではないと伝えるべきだ。……桜井を選んだ俺は言いだせなかった。
東京はカラスが減ったと聞いていて実際そのとおりだった。なのに群れで騒がしく飛んでくる。俺達の頭上を越えて、さきほどまでいた図書館に降りていく。
桜井が川田の手をはらう。
彼女が再び箱に手を伸ばす。目を見ひらき、なにかに押されたかのようにうつ伏す。
向かいに立っている俺からは、桜井の向こうに女性が見えた。こちらへと片手を伸ばし、もう片方の手を斜め上へ曲線を描くようにかかげている……。その振る舞いは、高校の修学旅行で見た京劇の亮相 のようだ。
もったいぶることもなく、青銅色の箱を開ける。
同時に白目をむく。
さきほどの女性がまた中国風の見得をきっていた。手にしたなにかを俺達へと突きつけている。
箱の中では、黄色い布の上で四個の玉が光っていた。ゴルフボールより若干小さいぐらいだ。黒、白、赤、そして青色に輝いている。
黒い光が俺へと飛んできた。光は目の前ではじかれたようにV字に曲がる。
手の中の木札がさらに熱を帯びたが、かまわず強く握りしめ……
…………えーと。
中学三年生の二月二十二日は、明け方までの大雪で町は白く輝いていたよな。生まれ育った地区のお祭りが、毎年この日におこなわれるから覚えている。山奥の無人の小さな神社同様に、お天狗さんとだけ呼ばれる小さな祭り。
あの日は……。
次回「木札を握っていた」