二十九の一 乙女の祈り、乙女の逆鱗

文字数 3,809文字

ウー
ボゴン!
ウー
ボゴン!
(狼は怒り吠えながら結界に飛びこみ、そしてはじき返される。それをただくり返す)
(今のこいつは川田ではない。横根を襲う意思だけの傀儡の化け物だ。その顔をまた服で覆おうかと思うが……、狼に川田の意思が戻っても結界は破れない。横根が先だ)


ビュン!

 俺は上空へと向かう。
 
ゲヒヒ
……。
 フェンスに囲まれただだ広い屋上に、峻計と横根と鬼が見える。
(横根は金網ごしにひろがる暗闇を見つめていた。峻計は黒羽扇を手にうんざりとした顔を俺に向ける)
我、人の世に抗うべく――
くっ
 あいつが両手をかかげて体を一周させる。俺はひろがりだした結界に押し返される。空中で助走をつけて肩から飛びこみ、またはね返される。
グハヒハハ。さすがは峻計さん、見ただけで覚えたな
(闇に戻れた鬼が高笑いしていやがる。ふと忌々しい考えが浮かんだ。横根の前にひろがる空には……)


ビュン!

 俺は上空をまわりこみ、ビルの外に浮かぶ。眼下に夜景がひろがる。旋回する。横根の見つめる空には、やはり結界はなかった。
スタッ

 フェンスを越えて彼女の背後に降りたつ。あいつをにらむ。

しつこい。興ざめだ
ボッ
シュッ
 黒い光が飛んでくる。予想していた俺は上へと逃れる。
ボッ
シュッ
ボン!
 立て続けにまた飛んでくる。今度は右に避ける。次の光は――、三発目の黒い光はひときわ大きいが、見当違いの方向に飛んでいく。
(違う。横根の前のフェンスが壊される)
 彼女と空との境に道が作られた。
横根瑞希。はやく飛びおりな
…テク、テク
グヒグヒ
ウォン、ウォン!
ボゴン!
 横根が縁へと歩きだす。鬼が卑しく喝采する。非常口の狼は吠え続けている。
うおおおおおお!
 俺は横根へと突進する。
ドン!
 か弱い妖怪が人を押し倒す。
 

 あいつが扇をかざす気配を感じて、また浮かびあがる。

お前をみくびっていたよ
!!!
 
 
クソッ
 あいつが横根へと黒羽扇を振るう。俺は転がったままの横根へと飛びこむ。
……。
 

 彼女をかばった俺へと、黒い光がズドンと

ウウ…
 背中から全身へと激痛が突き抜けた。のけぞった背骨が折れそうだ。悲鳴をあげた顎がはずれそうだ。目玉が飛びだしそうだ。心臓が破裂する……。
スク
 横根が俺を羽毛布団のようにはがして立ちあがる。また屋上の縁へと向かう。……俺は動けない。
横根だけでも助けろ
(俺の妖怪としての力がうごぐえっ…………)
グサリ
(光を受けた背中を踏まれた)
そこまで生にしがみつくとは、たいしたものだね。白虎が落ちるのを見せてから、とどめをさしてやる

グリグリ

ヒー

(あいつの声が真上から聞こえる。あのヒールで傷口をぐりぐりされる。

 それでも俺はまだあきらめない。うつぶせに横たわったまま木札を探す)

 
 草鈴が手に当たる。それを口にあてる。
チリ、チ……
バゴン!
 言葉をこめる間もなく、顎ごと蹴られる。草鈴が飛ばされる。
ツカ、ツカ…

グジグジ

 
(あいつが俺をまたぐ。草鈴を踏みしだくその先に、縁に立った横根が見える)
 横根が空へと体を傾ける。
 とてつもない気配を感じた。
横根、ちゃん!
ビューン
わあ
 桜井の叫び声とともに横根が飛んでくる。俺ははじき飛ばされてバウンドする。彼女も屋上にまた転がる。
人に戻ってなにやってるの……。松本君? そこにいるの松本君でしょ。ヤバいよ。消えないで!
(コザクラインコが騒いでいる。消滅間際の俺を見て、桜井の気配が炸裂している)
そこのカラス。松本君を戻せ。さもないとお前を消してやる
(……龍の逆鱗に触れたな。俺の怒りなんてかわいいものだった)
モゾモゾ
(横根がまたうごめく。足どめしたいが、俺はもはや立ちあがれない。目がかすんでよく見えない)
(……鴉と見抜いたな)

お前が青龍になるべき娘か。さすがの気だな。お前の頼みならば、なんでも聞いてやる。だから、こっちに来てくれ

桜井、行くな。また傀儡に……
貴様は溶けだした身でまだ……
グサッ、グリグリ
 峻計が俺の後頭部を踏む。深く突き刺さる。
ヒイ…
 
 あいつの黒羽扇を感じた。同時にあいつの気配が遠ざかる。
ま、松本君に……。死ぬほど許せない

あんな小鳥があいつをはじき飛ばしたのかよ。やっぱり青龍はすごいな……。でも、もう無理だ。俺が最初に消える。

 あおむけになり夜空を見上げる。
(……スイカみたいな半月だ)






 

ナ、ナンダッタノ
(どこかで横根の声がする)
ナンデ、ワタシ自殺ナンテシヨウト……
(彼女は怯えている。桜井の雄叫びが傀儡の術が解いた。よかった……。なのに目がかすんできた――)
思玲さんの珊瑚だよ! 松本君を助けて! 助けろ!!!
(空がどよめくほどの叫び。俺の意識は無理やり戻される。真なる青龍の咆哮。もう楽になりたいのに目が開く)
マツモトクン?
ワア

(横根はすぐそこにいた)

オボエテイル……、思いだしたよ!
桜井! 結界を破れ
(狼も吠える。川田の術さえも解けた)
松本は寝ているな。人間は引き返したぞ。誰も瑞希ちゃんを助けに来ない。なんとかしろ!
(こんな身に命令するなよ。でも……、そうだよ、俺こそあがけよ)

なによ、その恥ずかしいウチワは。瑞希ちゃんに当てる気なら、次は外までつき落とすから……。

ははは、そんな小さい刀からだしたって、かゆいだけだし。

瑞希ちゃん、はやくしなって! 松本君が消えちゃうよ!

(もしかしたら桜井はあいつを圧倒しているのかよ)
これは夏奈ちゃんの声……。私を助けてくれたのが思玲。なんでみんな忘れちゃったんだろう
あそこで吠えているのが川田君かな。なにを言っているのか分からないけど……。

松本君、声をだしてよ。私はもう猫じゃないから見つけられない!

(俺は声などだせない。だしたところで彼女の耳に届かない)
夏奈ちゃん、教えてよ!
ここ!
きゃあ
ワア

(桜井の声とともに、横根が俺にのしかかる)

いたた……。夏奈ちゃん強引だよ。


松本君、ここにいるの? 返事もできないほどなの?

 横根は俺を見つめているけど、俺は見えていない。
……。
 
(俺は珊瑚の力を感じる。この玉は眠っているのに、なおも俺を消さぬとしている)
黄玉! 立ったまま寝ているのかい。その娘を外へ投げな
俺なんかが青龍さんに逆らえるわけないだろ。あんたがやればいい


ギャアア

(鬼が悲鳴をあげる。またあいつが仕打ちを与えたのだろう。空気がよどむ)


えーと、我に護るべき者多し。故に……、いにしえの海神(わだつみ)に祈りを捧げ奉る、だっけ?


思玲が何度もしてくれたから覚えているけど……。

自分の言葉のがいいよね、絶対に

(吐息を感じる距離で、横根がつたなくつぶやきだす)
行くよ!

……私には守りたい人がたくさんいます。だから太古の海の神様にお願いいたします。この宝珠に眠った力を、私の愛する人達にどうかお与えください

キラッ
(横根の胸もとから垂れた海神の玉が光る。俺のまわりが清浄な空気に満たされていく)
川田君、ごめん。結界は破れないや。力だけじゃ無理かも
くそっ。俺はまた見ているだけかよ

(川田がぼやく。こっちになんか来なくていいのに……)

……。
(横根があの眼差しで見えない俺を覗きこむ)
松本君も玉を握って。見える? ここにあるよ
(俺は目の前に浮かんだ赤い珊瑚へと手を伸ばす――)
ぐえっ
 俺はとどめを刺される。
(……違う。脈が裂けるほどに、清廉な魂が飛びこんできた。祈りが体中を駆けめぐる。体中の痛みも穢れも霧散する)
ドクン、ドクン
(木札の存在感さえ、ずしりと復活する。
 救われた身であろうと、こいつは……。それどころじゃない)
ありがとう
 俺は横根をどかして立ちあがろうとする。でも祈りに満ちた彼女のがずっと強い。
太古の海の神様にお願いいたします。この宝珠に眠った力を、私の愛する人達に――
 のしかかっていることに気づきもせず、まだ俺へと祈りを捧げている。
もう充分だって……
 申しわけないけど彼女を包みこむ。
キョトン
ありがとう。元気になれた
 目の前できょとんと立つ横根に声をかける。
ちょっとだけずれて。……重いって意味じゃないよ
!!!
 横根があわてて体を手で覆う。顔を真っ赤にして俺を見上げる。なにか言いたげだけど、彼女を脇にどかす。
みんなすぐに戻るから。待っていてね
ち、ちょっと待ってよ。……松本君待って
私、今のことを忘れちゃうかも。松本君のこともまた忘れるかも。だから伝えておかないと
……。
 俺は振り返る。彼女は俺をまっすぐに見上げていた。
私が猫だったとき、大怪我をして苦しんでいたとき、松本君が抱えてくれたよね。すぐそばで護符がつぶやいていた。お札は何十回も言っていた。
“娘よ、私が哲人を護るわけを聞いて過ごせ。

あの若造はな、八十八代目の氏子総代になるべき男であり、大峠の山の神がお気に入りの早苗(俺の祖母の名前だ)の初孫であり、そもそも祠に幾度となく訪ねてくれた若人だからだ。

見てのとおりに七難八苦を与えられたから、それから護らないとならない。

お前も守ってくれ。哲人もお前を守るに決まっておる”

ずっと言っていたよ。もうすこし伝えたいことはあるけど、とりあえず……

教えてくれてありがとう


(大峠は母の実家の町。そして……。

 もしかして俺も差し向けられたのか。七難八苦のために……)

お札もよかったね。


みんなでまた会おうね

もちろん
 見上げる瞳に笑みを返し、背を向ける。
峻計……

 座敷わらしが人の女から這いずりだす。





次回「座敷わらしとコザクラインコ」

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