三十九の二 幼き翼
文字数 2,506文字
魔物のおじさん。アンディさんの笛を鳴らしたのはおじさんですか?
わあ
(巨大なサキトガが巨大な羽根にはたかれる。衝撃で俺を手放す。眼下に暗い林が広がっている。この高さから落ちたら痛みもないまま即死だ)
ひい
(サキトガの足らしき闇にかろうじてしがみつく)
(俺が心に浮かべたばかりのことを、使い魔が念押しする。
サキトガの足の爪に乗る。はやく地面に降ろしてくれ)
(……南の空が荒れている。龍だろうか? 夕立だろうか?)
(大ワシがサキトガの前に飛んできた。灰風達の倍以上ある。これで雛かよ)
手が疲れてきた…
ドロシーちゃんはどこですか?
小鬼の印が隠れちゃいましたので、教えてくれたらおじさんを見逃してあげます
『ギギギ。はやく香港に帰って、主様になでなでしてもらいたいんだね。
おじちゃんこそ、坊やがかわいくて殺したくないよ。
梓群ちゃんはあっち』
(巨大な手が夜景となった盆地を指さす……。俺は、なんて高さに命綱もなしでいるのだ。それより)
(サキトガの前で長考などできない。俺は魔物の爪から手を離す。……拾ってください)
夏奈ぁ!
(保険で龍も呼ぶ。360度見渡せる空に嵐の兆候などない。静岡方面だけが――。自由落下の速度が上がっていく。激突の瞬間に体をさする準備をする)
衝突す……あれ?
(風軍の声が真下で聞こえ、俺はおおきな羽毛の上にふわりと着地する)
乗ったの! ……もしかして哲人? それとも人に戻ったドーン?
なぜに俺達の名前を? 風軍が巨大な羽根を傾けて、俺は逆側に転がる。ススキほどの羽毛をまとめてつかむ)
ミツケラレルカナ?
(羽根を広げた体躯は、俺の実家の敷地よりでかい。首もとへと這っていく)
(……サキトガがいない。妖魔は姿を消せる。西の山脈の輪郭がかすかにだけ見える。じきに完全なる新月だ。とにかく、みんなのもとへ)
俺は松本哲人。ドロシーの…………友達。
風軍、低く飛んで。ここからだと地形が分からない
まさかの急降下~(真夏の盆地の夜景しか分からない。大鷲が高度をさげていく。白笛川が見えた)
川沿いに道があるよね。そこを北へとずっと進もう
(サキトガの笑い声。闇が俺をつかむ。羽毛から手が離れかけるが、
(風軍が体を旋回させる。夜景が反転して爪から逃れられた……。背中、えぐれているよな?
ストレッチみたいに背をさする。体が柔らかくて助かった)
潜っておこ
(いまのサキトガは、巨大な羽根をはやした手足をもつ魔物。闇のようにおぼろげな姿)
ジグザグに飛べる?
(俺のアドバイスに、アクロバティックな飛行に替わる。目がまわるし、飛行機酔いだ。羽毛にもぐりこみ吐き気をこらえる)
そろそろだから、もっと低く飛んで。速度も落として
(右へと傾いたとき、真っ暗な林の中に道しるべのような術の光が点在するのが見えた)
(風軍も気づく。急降下する。俺は大ワシの頭へと匍匐前進する)
(サキトガの声はどこから聞こえた? ならば彼女がさきに殺される)
ドロシー!
(風軍の首もとから叫ぶ。なにも起きない。サキトガはどこにいるのか、それすら分からない)
もっと下がって
断崖に沿った山道だ。彼女は先頭の灯し火手前にいた。
一人だけだ。
(風軍はひるんでいる。それでも降りていく。ドロシーは闇のなかを走っている)
ざけんな!
(彼女が見上げた。七葉扇をひろげるのも見えた。でも大ワシは上空へと羽ばたきを強める。その風切り音の向こうに聞こえた)
(巨大な燈火が暗黒の妖魔をはじき飛ばす。彼女がまた扇を振るう)
(照明弾が破裂して、ドーム状に山中が照らされる。木霊の悲鳴が聞こえた。俺を乗せた大ワシが上空で旋回する。光の中へと急降下する)
(彼女は自分の作った太陽に手をかざして空を見ている。……光に姿をさらされた巨大な魔物を見ている)
(まぶしいほどの明かりの中で、サキトガはおぼろな闇になる)
『……ほんとかよ。お前は底抜けに無茶苦茶だな。リンチじゃ済まないぞ』
(まず狙われるのは俺とドロシーどっちだ? ……横根も奪還される、なんて心に思ってしまった。奴は横根を狙うぞ)
風軍、ドロシーを拾え
(その羽根で横根を目ざす)
(風軍が顔を背に向ける。瞳にもくちばしにも面構えにも、あどけなさなどない)
(幼いのは声だけで、俺の命令をたやすく拒絶する。……風の匂いが変わる。日没だ。いま新月を迎えた)
(新月の森は目を開けられないほどの光に包まれる。巨大な影がひるんでいる)
着地しなくていい
(大ワシの太い首に足と右手でしがみつく。左手を突きだす。人の目に見えぬ巨大な猛禽が羽根をたたみ地面へと降下する。
速度はゆるまない。風が叩きつけてくる)
(なのに彼女は見上げる。俺の声は彼女には届く)
ドロシー!
伸ばした手を彼女が握る。風軍が右に傾き、ドロシーの体が宙に浮く。そのまま引き寄せる。
(上昇する巨大な体の上を二人して転がる。お互いに手は離さない。背中の羽毛にしがみつき、彼女を抱き寄せる。……とりあえず落ちずに済んだ)
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